『恩讐の彼方に』
2016/11/26(Sat)
菊池寛著 『恩讐の彼方に』 を読みました。
 旗本の使用人の市九郎は主人の愛妾のお弓と通じたために、主人に切りつけられ主人を殺してしまいます。お弓と江戸から逐電し、さらに悪事を重ねていましたが、お弓のあまりのあさましさに嫌気がさし身一つでお弓からも去りました。
 美濃の浄願寺に駆け込み、現往明遍大徳衲に自首すると打ち明けます。上人は「それもひとつの方法であるが、それでは未来永劫焦熱地獄の九艱を受けておらねばならぬ。それより、仏道に帰依し衆生済度のために身命を捨てて人を救うことに、汝自身を救うのが肝心じゃ」との強化を受け、修業の後諸国雲水の旅に出ます。
 享保9年の秋、彼は赤間ケ関から小倉に渡り、豊前の国宇佐八幡宮を拝し、耆闍屈山羅漢寺に詣でようと山国川の渓谷にそい辿っていきます。 そのとき、鎖渡しという難所で、人がまっさかさまに落ちて亡くなったところに出くわし、乞われて1遍の経を読み、聞けば毎年数人の死人が出るという話を聞きます。
 刹那に自分の精進勇猛の気を試す難業への大誓願が萌し、身命を捨ててこの難所を除こうと思い立ち、道屈を始めます。掘り始めて、19年目、9分まで竣工したときに、自分が殺害した主人の跡継ぎが、お家再興のために市九郎を探し当て、あだ討ちのために訪ねてきます。しかし、洞窟を掘るのを手伝っていた石工の棟梁が、竣工が果たせるまで待つように告げ、聞き入れざるをえませんでした。あだ討ちを早めるために出来るだけ早く竣工できるようにと彼も手伝い始めます。ところが、1年半たって、竣工なったときには敵同士感激に涙するという話です。
 今回の夫婦で九州へのたびでは私たちも、平成28年11月10日、赤間ケ関から小倉に渡り、豊前の国、宇佐八幡宮を拝し、山国川の渓谷にそって辿り、青の洞門を訪ねました。訪ねたときは、ちょうど雨でした。駐車場から、カッパを着て洞門を往復いたしました。あわただしく見物したのですが、あかりとりもあって洞門のなかからも山国川を望めます。もともと山国川に向かった切り立った山が壮絶で川の向こうののどかな村の様子とのちがいに驚くばかりです。川の向こうはちがう国で、交通には国の内を通らなければならなかったので難儀していたからこの隧道を掘ったと夫が説明してくれます。子どものころ、子供向けのもので青の洞門の本を読んだことがありましたが、自分勝手にふつうに岩山にトンネルを掘って近道を作ったように想像していてこととはちがっていました。帰ったら菊池寛の『恩讐の彼方に』を早速読んでみようと思っていました。
 読んでみると、文面から壮絶な景色が思い出され、江戸時代の話が、そのまま蘇ってくるようでした。

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