九州旅行・椎葉村を訪ねて
2016/11/27(Sun)
 11月11日早朝から、椎葉村を訪ねました。
 椎葉村の中心部、国道265号線わきに車を止め、坂を上がりながら、椎葉民俗芸能博物館、椎葉厳島神社、鶴富屋敷(那須家住宅)を散策して、両脇にお店の並ぶ鶴富どおりを歩いてゆきますと、この日はちょうど、恒例の平家祭りが行われる日ということで、大きなテントが二張り張られて椅子や、拡声器など視聴覚機材なども準備されています。
 椎葉村の中心部といっても、地形が耳川を挟む谷ですから、平地というものがほとんどなく、見下ろせば川、見上げれば、これらの建物が、山肌にしがみついているといった感じです。今日の行事に参加される人は、耳川の河川敷に駐車場が広く準備されているといった具合です。
 しばらくすると、役場に勤めている人や主催者の方々があちこちから少しずつ出てこられ、いろいろ話しかけてきて下さいます。今に続いている焼畑では、昔から栽培されていたソバの種がここにしかないもので、それを継承していく仲間を作る努力をしていることや、椎葉村の財政は国が全面的に担ってくれているとか、私たちも、だんだん椎葉村の内情が伝わり、椎葉の人々の仲間になってきました。そうこうするうち、椎葉民俗芸能博物館、鶴富屋敷に勤務する人も出そろって、開館になります。両方で1枚の入場券になっています。
 椎葉民俗芸能博物館では、館長さんが、柳田國男氏のおかげで、民俗学の発祥の地になったことをとても感謝してうれしそうに話され、また吉川英治の新平家物語の最終巻「吉野雛の巻」では、那須大八郎が平家追討の命で椎葉に来た様子を書いていることに寄せて、鶴富屋敷の庭に「ひえつき節」の碑があることも説明して下さいます。椎葉は広大な面積を要しています。それぞれの地域によってもいろいろな祭りがあり、その地域ごとの祭りの紹介もあります。御幣の切り方がそれぞれちがっていて、それにはとても興味を惹かれました。この奥深い地に壇ノ浦で敗れた平家の落人たちが雅やかだった暮らしや文化を携えながらも、落ち延びて、この厳しい自然のなかでひっそりと暮してきた数百年の記録を読んでいくと涙が出ます。ここでは、「椎葉の歌と民謡」のCDを買い求めました。帰って、やっと今日27日の夜にこのCDを聞いてみました。「ひえつき節」は歌い手を変えて4通りあります。「椎葉駄賃付けうた」・「奥山節」は歌詞が親しめます。 現代の曲で、作詞・作曲・唄とも西村賢三の「焼畑の唄」はとても椎葉の叙情を歌っているように思えます。
 鶴富屋敷(縦8、662m.・横24、952m)では、鶴富姫と、那須大八郎の悲恋物語が放送されています。
 那須大八郎は那須与一の弟です。私たちの住む広島市のすぐ奥にある安芸太田町戸河内に与一が最晩年を送った村があり、与一の里として受け継がれていることを話させていただき、さらに話がもり上がりました。
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コメント
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 ほんとうに素晴らしい旅だったのですね。
鶴富姫と那須大八郎の悲恋物語は芝居や踊りの世界で知りましたが、現実に継承され生きている歴史、その継承者たちの集い、祭りに参加できた事などは、霞様の事前調査が有りそうに思えます。ご夫君はあかね様を充分楽しませようと、色々調べていたのだと思いました。
ご夫君の運転の苦労も報われたことと思います。
 生き生きした紀行文を読ませて頂きながら、その場の景色や弾む会話を思い浮かべております。「椎葉の歌と民謡」良いお土産でしたね。時々取り出して聞くことで、今後にも思い出が深まりそうです。
 お二人共に仲よく、今後も更に楽しい旅をお続け下さい。
2016/11/28 11:41  | URL | #-[ 編集]
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 有難うございます。
 ほんとうに夫には感謝しています。
 「ひえつき節」の正調の味がわかるには、まだまだ人生の深みを極めていない私には無理のようですが、「椎葉駄賃付けうた」は、細い外部社会とのかかわり、「奥山節」は常に源氏からの追っ手に恐怖する悲哀が伝わる歌詞に椎葉の心が伝わり、作詞・作曲・唄とも西村賢三の「焼畑の唄」はこのCDに閉じ込めておくのはもったいない気持ちがします。
2016/11/29 08:36  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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