九州旅行・水俣
2016/12/01(Thu)
 夫から、順序よく記録してくれと、注文が来ました。
自分勝手に私のブログの記事に合わせて自分のブログで写真の紹介をはじめていたための注文です。しかし、私のほうも旅行ボケと、忙しさで、思い付きの記録になってしまいました。(仕事をやめてからのほうが忙しいというのがさっぱりどうしてかわかりませんが・・・。昨日も交通安全協会の依頼で8時から夕方4時までボランティアで、廃校を利用した西綾ケ谷集会所で餅つきを手伝い、餅とり粉だらけになって帰ってきました。女性会というのがあると聞いていたのに、女性は私と西田さんという人だけで、あとは男性8人でした。忙しさは並ではありませんでした。今日はこのお餅を路上で配る活動に借り出されています。)
 それでも、記念写真だけの記録よりはいいのではないかと自分に言い聞かせています。
 15日、水俣。ここは私がいちばん訪ねてみたかったところです。
 いまでは、水俣病の保障業務を専業とする会社ということになっているチッソ水俣工場の周りを始業時間前に、見て歩きました。
 創業した明治の初めころ、材料や製品の運搬のために水路が引かれています。その水路を見ると、当時の近代化を推し進めるための意気込みが伝わってきます。そして会社の正門前を国道3号線が走り、向かいが肥薩おれんじ鉄道の水俣駅です。チッソの会社によって町が成り立っている様子が伺えます。
 これは、私たちが住んでいる旧可部町の大和重工とおなじしくみだと、いま気がつきました。太田川から会社に水路が引かれ、正門の前を国道54号線が走り、横切ると可部駅です。
 水俣病資料館は、水俣湾の北側の突端にあります。
 水俣湾への水俣病の原因となる汚水口の百間排水溝からの汚水で死んだ港を埋め立てて、エコパーク水俣が作られ、巨大な面積の公園になっています。
 水俣病資料館は開館間際で、受付は閑散としていました。NHKの「100分で名著の石牟礼道子著『苦海浄土』」をみてきたことを告げました。そのうち、見学会で訪れた中学生などを含めたくさんの見物客が詰め掛けてきました。見て歩いていると、先ほどの受付の女性が話しかけてきて、私は千葉から来てここに就職したと話され、千葉にもチッソの工場があり、問題があること。広島では、原爆被害についてどのように子どもたちに伝えているのかなど質問を受けました。夫のところには、館長が行って、展示の苦労話などにくわえ、やはりおなじような質問をされたようでした。被災者として差別を受け、いまも続く補償問題を抱えていることに関しては同じということでの質問だったでしょうか。
 身につまされるものを感じました。
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