九州旅行・熊本市
2016/12/17(Sat)
 熊本に入る前夜、熊本から1時間くらい東に入った上益城郡山都町の通潤橋の近くにいる友だちをたずねました。彼女はこのたびの地震災害で被害を受けて崩れかけた熊本城を見て涙が出たと話しました。
 お城について、このような思いがあることが、城下町に育っていない私には以外でした。夫に、広島城も原爆で焼け落ちたとき、広島市民もこんな思いだったのだろうかとたずねますと、「そんなことはないよ、何にもなくなったのだから。だから広島の人間は冷たいんだ」とこれまた思ってもみない言葉。
 そんな言葉を胸におさめながら、朝一番に熊本城を訪ねました。熊本城を訪れたのは初めてでした。災害の前は、熊本城ではとにかくあの石垣が見てみたいの一念でした。あの憧れの石垣が無残にも崩れ落ちています。まるで私が修復しますといわんばかりに崩れた石垣の写真を何枚も撮りました。
 子どものころ、姉がレコードをかけては、扇をかざして何度も踊っていた、三橋美智也の『古城』の「崩れしままの石垣に 哀れを誘う病葉(ワクラバ)や・・・」の歌詞が思い出されてきます。この城を見て涙を流す市民の心を思って涙が出ます。お堀のまわりの歩道なども壊れています。風呂先生御推薦で熊本城のお堀の向かいのホテルキャッスルも、足場に取り囲まれています。明治10年の西南戦争のときにも町はいたるところが壊され、ハーンが第五高等中学校に赴任したときもまだ復興しきれていなかったようすをどこかで読みました。自然災害の多い国土に人災まで・・・の思いもめぐり、はかない気持ちが漂ってきます。
 熊本市の繁華街に出て、小泉八雲旧居を訪ねましたが、立ち入り禁止部分も多くて入場料は無料になっています。門扉も玄関も開いたままで人気がありません。もう隣人になったような気分であちこち眺めておりますと、館長さんが、あわただしく入ってこられました。広島ハーンの会で風呂先生に学ばせていただいているものですと名乗りますと、大忙しにもかかわらず、親しく対応して下さり、いろんなパネルを取り出してきては説明をして下さいました。無料だけあって、立ち入り禁止場所がほとんど全部で、玄関から座敷の奥のほうを眺めるだけで終わりです。
 この旅行では、土産に「ひごくに」というケーキを頼まれていましたので、鶴屋百貨店におもむき、頼まれていない人たちにもまとめて購入しました。
 熊本といえば、質実剛健の気風を広島ハーンの会で学びましたが、売り場面積では日本最大級というこの百貨店の手提げ紙袋の質素さには、その気風がよく現れておりました。
 そして、夏目漱石旧居にも足を運びました。
 この記録を書いていると、来日中のロシアのプーチン大統領が柔道を見に行って、山下泰裕と話している映像がテレビに映し出されました。この山下泰裕は私たち夫婦がたずねた通潤橋の近くにいる友だちと従姉弟で目元や口元などどことなくよく似ています。彼が小さいころ子守をしたということでした。
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