『人権読本』
2008/02/10(Sun)
鎌田慧編著『人権読本』を読む。

この本は岩波ジュニア新書の一冊である。

テーマ別に執筆者がある。
 全テーマ
   「子ども」
   「高齢者福祉」
   「家庭内暴力」
   「障害者」
   「女性労働」
   「過労死・過労自殺」
   「コミニティ・ユニオン」
   「沖縄の米軍基地」
   「外国人差別」
   「戦後補償」
   「部落差別」
   「ハンセン病」
   「事件報道」
   「死刑制度」
   「陪審員」

このテーマの中で、「コミニティ・ユニオン」・「陪審員」について感想を書きたい。

「コミニティ・ユニオン」について。
これは、自分が知らないことであったので興味深く読んだ。
ここ十年くらい前から立ち上がった労働組合のことだそうだ。
社会の変遷につれ、雇用形態にも大きな変化が生じた。
これまでの労働組合が、労働条件の改善にほとんど役に立たなくなったということによる立ち上げである。
しかし、この組織の大きな問題が資金の不足であるという。
当然そうだろう。
既存の労働組合が給料の天引きから資金が確実に調達できることから、組合資金が豊富で組合幹部が、労働者の痛みに鈍感になり、雇用者と癒着までしている状況も少なくない。
労働組合組織そのものがもう機能しなくなった原因もそこにあると感じるときもある。
それだけに、この「コミニティ・ユニオン」の立ち上げには大きな期待が掛かると共に、その資金については考えさせられる懸案である。

「陪審員」
陪審員制度が発足したら、また陪審員に指名されたら、国民の義務としてそれを逃れることが出来ない。
ということになればどういうことになるのか。
具体的にシュミレーション出来る資料が此処に記されている。
陪審員制度がいかに民主的な制度であるか。
そして今までの制度の不備について考察してある。

それなりに理解は出来るのであるが、私自身陪審員になることは大変怖いという印象を持つ。
それは、理屈ではない部分でである。
私は、医師や看護婦といった職業の人を大変尊敬しているが、たとえば自分が足を切断しないと命が危ういという状況の患者に対して足を切断する勇気があるかというと私には全然無い。
看護婦さんだって同じくいろんな場面に立ち会わされるだろう。
だから尊敬するのではあるが、自分には出来ない。
では、誤診や誤審に対して寛大になれるかといったらそんなことはまったく無い。
そういったことを深く考えていると、私の場合自分がいかに自分勝手な人間であるかというところに行き着く。
民主主義を標榜しながらその能力には程遠いことにきづく。
横山秀夫の『半落ち』の中に、アルツハイマーの女性が夫による委託自死をする。そのお姉さんが法廷で「私はケイコに何もしてやれなかった。○○さん(義弟)に押し付けてしまいました。」といって嗚咽する部分を思い出す。
苦渋の決断とそれに伴う行為を他人に押し付けてしまう苦しさである。
自己矛盾を思い知らされた一文である。

そのほかのテーマの記述については、『不幸論』という中島義道の新書について宮崎哲弥が書いている一文を思い出す。
≪「幸福になりたい!」などというセリフを聞くや、それを吐いた人間の根性を叩きなおしてやりたくなる。「幸福追求権」などというふやけた権利条項(第十三条)をもつ憲法は一刻も早く改正すべきだ。≫
この『人権読本』とは、次元のまったく違う話ではあるが、ジュニア向けのこういった記述を踏まえたうえで、個々のテーマにしたがって、改めて人権について考える。





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