『白蓮れんれん』
2017/01/11(Wed)
 林真理子著 1994年発刊の『白蓮れんれん』 を読みました。
 少し前、白洲正子の自伝を読みました。その中に、白蓮が伊藤伝衛門のもとを去り、宮崎竜助のもとへと出奔したとき、おなかに子どもがいたことなどから身を隠さなければならない事情におちいりました。そのとき、白洲正子の父親である樺山愛輔がかくまわなければならなくなり、白蓮が白洲正子たちと同居していたと書いていたので、えー?それは初めての情報と思いこの本で確かめてみようと思ったのが読み始めたきっかけでした。
 結局この『白蓮れんれん』では、白蓮が樺山愛輔にかくまわれたという記述はありませんでした。
読み終わって、何か新しくびっくりするような情報に出会わなかったような気がしてブログの過去記事を調べてみると、なるほど、すでに2014年の1月に読んでいました。
 そのときの記事をもういちど掲載しておきます。
≪・・・お話は白蓮が伊藤伝衛門と二度目の結婚をするところから始まります。そして、その嫁入った先の伊藤家から宮崎竜助のもとに出奔し、落ち着いたところでお話は終わります。
 読み終わって、印象に残ったのは、前の本によって、伊藤伝衛門に新聞紙上で絶縁状を掲載して失踪したその大胆さに度肝を抜かれていたのですが、この本ではここのところのいきさつが詳しく書かれてありました。
 姦通罪がまだあった時代、彼女に法的処罰がなされないように、出奔のなりゆきを企画したのは、彼女の意思ではなく、お互い相思相愛になっていて出奔したあとに結婚した東京大学法学部を出て弁護士になりたての宮崎竜助が、彼らの恋路を応援するやはり法学部の学友二人との三人で企画したことでした。
 まずは白蓮が伝衛門との結婚がいかに不条理なものであったかについてそれを訴えた長い手紙を東京に送ります。それを彼らが法的に不利にならず、世評を悪くしないような文章に書き直し、それを白蓮に再度送り彼女の了承を得るのです。なにしろ二人の手紙が700通もあるというのを遺族からそっくり借りてそれを読んで書かれた小説ですから、真に迫った事実が伝わってきます。
 その後の世間の騒ぎはなみたいていではありませんでした。従弟は大正天皇であり、腹違いの姉は昭和天皇の入江侍従長の奥様ですから当然といえば当然です。腹違いで戸主の兄は大金を伝衛門にもらって伝衛門とは二十五歳も年下の妹を嫁がせたのですから、結局若くして華族院議員を辞めざるを得なくなりました。それまではお金目当に妹を売ったといわれた身でした。
 この作品によって書かれた伊藤伝衛門との結婚生活と新しい恋人との恋と離婚劇。むしろ、前に読んだ本がこれにつづく三度目の結婚のお話といってもいいのではないかおもえます。前の本では結局三度目の結婚で彼女が本当に幸せになったということでした。それはおおいに宮崎家の家風というものが、彼女を大きく成長させた、そして白蓮は辛いことはあっても自分が内面的に成長できる結婚でないと満足できない人であったのだということでした。
 女性は普通子育てをしてゆくなかで成長できる要素が多いとおもわれます。伝衛門は白蓮には結婚前に知らせていなかったのですが子どもができないように手術を受けていました。三度目の結婚では2人の子どもに恵まれました。そのこともこれらの結婚生活に大きく影響したともおもわれました。
 もうひとつこの本によって知ったことは、以前は学校によって新学期の始まる月が違っていたらしいということでした。9月から始まっていた学校もあったようだということでした。≫
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