『小泉八雲新考』 ㈠
2017/01/29(Sun)
 丸山学/木下順二監修『小泉八雲新考』を読みました。
 講談社より学術文庫によって1996年11月10日第一刷発行されたものです。
 丸山学による序文は昭和11年11月20日になっています。最後の解説は「小泉八雲と丸山学先生」と題して、木下順二が書いていますので、これらから読みました。
 ここでは丸山学と木下順二との関係が明らかになりました。木下順二が1928年のとき旧制熊本中学校1年生で、初めて英語を学んだときの先生が、丸山学先生だったそうです。
 丸山学は、そのあと広島で学び広島高等師範学校の教授になり、小泉八雲の研究をするにあたり熊本にいる木下順二に協力を依頼し、この『小泉八雲新考』を出版した次の年、兵役に取られました。
 1945年に広島に復員してきたとき、「学友と学問のための資料の一切を失った私は広島でまたふたたび同じ仕事を第一歩からはじめる勇気を持てなかった。私は父祖の地に帰ることにした・・・。」と言ったというところでは、いろんな意味で悲しい思いがしました。

第1章 熊本時代の作品とその素材 先に読んだ「赤い婚礼」は、≪当時の新聞に取材したというが、その出所を私はまだ  発見していない。≫と書かれていました。
第2章 熊本時代の私生活 ここでは、日清戦争のさなか、官立学校廃止論などが取りざたされ、宮仕えの不安を痛感し、著作での 生活にむかっており、2千円の貯蓄があったということに驚きました。
第3章 教員室で机を並べていた佐久間先生と不仲になっていじめられていたという記述には初めてであいました。その丁寧ないきさつと、つらい思いをしたことが知れました。
第4章 『停車場にて』などハーンの作品についての考察ですが、≪ハーンの作品を文芸作品として見る立場に加えて、同時にそのうちの相当多くのものは日本人についての民俗学的研究とみなすことができる≫とのべ、ハーンの作品はその読者を英・米 人を念頭において書いており、今のように日本人にも読まれるとは思っていなかったことを強調しています。第一書房版全集の日本語訳を見て、翻訳に当たって、当時民俗学・民族学・土俗学といった学的内容に理解のない時代であったがために、それへの不満があることが述べられています。
第5章 ヘルン踏査 昭和10・11年ですら、松江・熊本・神戸・東京・焼津と踏査を重ねてみて、第五高等中学校のうらの小峰の高台にある小峰墓地を訪ね、≪あらゆるヘルンに関する遺跡の中で、この墓地ほど完全に旧態を保っているところはないと私は 確信する。≫と述べられています。

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