『ハーンの面影』  ㈠
2017/02/01(Wed)
 高木大幹著 『ハーンの面影』 を読みました。
 著者の高木大幹の本は少し読んでいるように思いますが、先ごろ読んだ、冊子『広島ラフカディオ・ハーンの会々誌』の「ラフカディオ・ハーンの会」ニュース№9(2001・5・12発行)に風呂先生が、奈良在住の高木大幹先生からも、4月20日の書簡で「盆踊り」に関するアドバイスをいただいたこととその内容が記されていて、とても身近に感じるようになりました。

 序文の前にハーンの写真の裏側に、著者の写真も大きく掲載されていました。それが遺影のように感じられましたので、調べて見ると、2003年1月14日に亡くなり、この本はその翌年2004年10月12日に八尾米一氏によって発行されていることがわかりました。
 八尾米一氏がタイトルを『ハーンの面影』としたことについて、ハーンが日本を愛してその面影を慕ったように高木大幹先生がハーンを慕っていて、ハーンのように真摯に生きられたからだとありました。
 第7章ハーンの夢のなかの、「ハーンの死の予感」につづく「夢と死」・「夢は枯野を」まで読み進み、ふと感じて、最後の初出一覧をめくってみるとこの第7章と、第13章修羅と微塵Ⅳ・第18章ラフカディオ・ハーン小伝は書き下ろしになっていることがわかり、先にこの章を読み、高木氏の晩年、ハーンの一生とその晩年に触れられている部分を、感無量の思いで読みました。この、第13章修羅と微塵Ⅳは、修羅と微塵Ⅰから通読したとき、厳しい仏教の修行のあとのすっと体から力を抜いているようなイメージがあります。

 ハーンは墓地を好みました。私も墓地に行くのが好きです。ずっと若い、中学生のころからでしょうか学校の帰りに途中から通学路をそれて、少し山を登ると私の先祖のお墓もある墓地の裏側にたどり着きます。そこから、向かいの緑の山、東西に伸びる県道や学校や役場、農作業にいそしむ村人が見えました。長じては、山道で出会う見知らぬ墓地で、それぞれのお墓で亡くなられた年月や享年をていねいに見るようになりました。最近は、内藤丈草にならって、「かげろうや 塚より外に いるばかり」とほとんどお仲間入りしている気分でもあります。目を瞑ると、宵闇の中、薄明かりに浮かぶ下市の「盆踊り」の輪が、走馬灯のようにゆっくりと回ってゆくようでもあります。

 高木大幹氏は1995年の講演でにハーンを慕って63年、と述べられています。2003年1月に亡くなられるまでのおおよそ70年の八雲に対する思いの集大成、充分に時間をかけて読ませていただきました。

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