『私の個人主義』
2017/02/02(Thu)
 夏目漱石著 『私の個人主義』を読みました。
 岩波の漱石全集第32巻に収録されています。
 大正3年11月25日学習院輔仁会での講演記録です。
 先に読んだ高木大幹氏の第1章のなかの「夏目漱石とハーン」の中に一部引用されている作品です。漱石は文学とはいったい何かわからない
 ≪私は斯うした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、又、同様の不安を胸の奥に畳んで遂に外国迄渡ったのであります。≫という部分が引用されているのです。引用のあと、
 ≪まことに奇妙なことであるが、ハーン(八雲)の一生も、それは不安の連続と言えるもので、漱石とは別の意味で、「生」とのきびしい闘いで貫かれたのであった。≫と著者は結んでいます。
 漱石は本文で、さらにこの不安の中のロンドンで、
 ≪私は初めて文学とは、どんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う道はないのだと悟ったのです≫と、意を強くします。しかし、生活に追われて、
 ≪私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著した文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。しかも奇形児の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。しかしながら、自己本位というその時得た私の考えは依然として続いています。≫と続けます。

 この部分を読んで、中学生の時、国語のテストで、語学的なことはいいとして、感想を採点するやり方にどうにも納得がいかず、国語が嫌いになった事を思い出しました。自分は単純な人間なので、答えの決まっている数学や物理のほうがすっきりして納得がいきました。短期大学部の国文へ入る時の面接試験で、「なぜ、国文へ?」と聞かれたとき、「自分は卒業さえできれば何でもよかったのですが、本が好きでいつも読んでいましたので、これら読んだ本が、体系づけられるのではないかと思ったのです。」と今思えばとんでもないことを言ったのですが、そばにおられた岩佐先生がいきなり、「そう!大切なことだ!」といわれ、とりあえず合格できたかも・・。と思ったのを思い出します。

 そのような文学への話のあと、漱石は講演を聞く学生たちが生まれもよく裕福な家庭の子弟であることを前提に、こういった人たちの個人主義、を標榜することへの心構えについて時間をかけて説いています。それについては、英国人の権力に対する義務の追行のバランスに敬意を表することを述べています。これは現今、我が国や隣国の韓国や北朝鮮、アメリカの首長にも大いに考えてもらいたいと思ったことでした。

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