『明恵 夢を生きる』 ㈠
2017/02/06(Mon)
 河合隼雄著 『明恵 夢を生きる』を読みました。
 先に読んだ、高木大幹氏の『ハーンの面影』の 第17章の講演「ハーンを慕って六十三年」の「神秘な次元…夢の場合」の中でこの本のことが取り上げられています。
 以前買って読んだことのある本でしたので、読み合わせて考えることもできる一冊です
 ≪ハーンは正に、夢見る人でありまして、彼のエッセイにも、再話文学にも夢に関するものが多く、東大での講義「小説における超自然的な物の価値」はハーン文学の理解に大切なものですが、その中で「霊を信じないとしたら、どうすればよいか。夢を活用することだ。怪奇文学の芸術的要素はみんな夢の中にある。夢こそ、文学の素材の宝庫だ」と申し、ハーンがわれわれに理解して欲しいのは、超自然の力がどういうものかを、些かなりとも見せてくれるのは夢であるということなのであります。≫から始まり、ハーンが亡くなる前の夜に見た夢が、ユングの言う予知夢と思え、さらに実際自分が経験すると不思議を通り越して驚く他なく、ハーンの怪談奇談が身近に感じられると結んであります。
 明恵が19歳から亡くなる直前まで夢の記録をしたためたことや、彼の動植物に示す優しさとに、ハーンを結びつけてあります。

 河合隼雄は、本書の「仏僧と夢」のなかで、当時、仏教において、夢を前兆として考える態度がよくあり、『阿難七夢経』をはじめ物語、日記、仏教説話などに、夢に関する書物が多く、夢は重要な役割を占めており、夢想・観想の功徳が解かれていると述べます。そのことが、のちの世までも高僧と言われた人に、夢で神のお告げを受けたなどという云い伝えがよくあることなのだとうなずけます。

 理想と現実が大きく違うことは日常茶飯事です。その違いに、いかに妥協して生きていくか。あるいは、その違いの苦しさにどこかに救いを求めるか。あるいは我慢をし、精進して乗り越えていくか。
仏道を求めて、入門してみたけれど、ほかの入門者は堕落しきっていて幻滅を感じる。よい師もいない。そんな現実に立ち向かったとき、いっしょに堕落してゆくか、仏にすがって生きていこうとするのか、自分で、常に仏に問うて、仏の声を聞き取って、その道を歩む努力をするのか道は様々です。
 法然や親鸞は仏にすがる教えを説きます。苦しみ多い民衆の中に広く受け入れられ、信者は精神的にも強くなり、一向一揆などおこし時の政権に否定されていきます。
 そんな中で、明恵は常に夢想し観想し、精進の道を説いてゆきます。
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