『明恵 夢を生きる』  ㈢
2017/02/08(Wed)
 河合隼雄著 『明恵 夢を生きる』では、明恵の残した夢の意味を探ってゆくことが目的です。そのためには、事前に彼の意識状態を知っておく必要があります。
 手始めに彼の略歴などを手掛かりとするようです。
 1173年に生まれる。親鸞も同年。父は高倉上皇の武者所に伺候した平重国。母に続いて父1180年9歳の時病死。同年西日本大凶作。1192年頼朝が幕府を開く。明恵20歳。前年より『夢記』を書き始める。1212年法然に対して『摧邪論』を書く。1232年北条泰時、明恵の教えの影響を受けて律令体制の革命的と言える「貞永式目」を制定。明恵60歳で示寂。生涯不犯唯一の清僧。
 明恵の生きた時代に思いがさかのぼります。
 そんな中で、彼の特徴を現わすエピソードの一つに、明恵4歳のころ美貌なので大臣に仕えせればと父が戯れを言ったが、自分は僧侶になりたいの思いから、顔に焼き鏝を当てたりして傷つけようとたことがあります。何気なく、読んでいたのですが、ずっとあとのほうで建礼門院に戒を授ける時、建礼門院が上座からの受戒の態を示したとき、自分は地位の低いものだが、仏門に入ったからには、国王・大臣にも臣下の礼はとれないので、誰かほかの僧からといい、建礼門院は非を悟って詫び明恵を上座に座らせ戒を受けたとある部分を読むと、自分の目指すものへの信念に驚かされました。
 さらに彼が、修業の高みに上るころの夢
 ≪或ル時夢ニ見ル、一ノ塔アリ、我昇ルベシ思フ、即チ一重コレヲ昇ル、ソノ上ニ又重アリ、…流宝流星ノ際ニイタリテ、手ヲ懸ケルト思ヒテ覚メヲハンヌ。≫さらに、20日ばかりして≪・・・先日ノボリオハラズ、今昇リキワムベシト思ヒテ、…今度ハ流宝流星ノ上ニ昇リテ…≫≪是等ハ成仏得道マデノ事ノ見ユル也≫
と自分の求道が高みに達したことを確認するのですが、求道者としてのきびしい姿勢での生活でついに病気になってしまいます。 このために、死ぬのは本望と思うのですが夢に
 ≪数日ノ後、夢ニ一人ノ梵僧来リテ、白キ御器ニアタタカニシテ毛立チタル物ヲ一杯盛リテ、コレヲ服ス・・・即時ニ其ノ病、気分ヲウシナヒテ平癒セリ。≫ここで、著者は、≪おそらく、この夢によって、明恵は自分の体を大切にすることを学んだのではなかろうか。・・・自らの身体と和解することを学んだのではなかろうか≫と述べ、釈迦にも同じようなことが起こり、他の比丘が修業を放棄したと立ち去るのだが、実のところ、釈迦の本質的な修業の段階はここでもう一段と進化され、このことが人々の救済に向かうことへとつながってゆきます。
 なぜか、昔に読んだアンドレ・ジッドの『狭き門』での葛藤を思い起こしもします。


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