「薩摩の真宗禁制」
2017/02/09(Thu)
  宮本常一・山本周五郎・楫西光速・山代 巴監修 『残酷物語三』のなかの「薩摩の真宗禁制」を読みました。
 昨年秋の暮れ、水俣を訪ねて、駐車場のそばのお寺の境内に立ち入ってみました。水俣は鹿児島県との県境にある町ですが、このお寺はその昔、真宗を禁制にしている薩摩藩から、薩摩の人々が禁制を犯してこっそり抜け詣りに来ていたお寺として今では知られています。

 夫がこのたび、そのことが書かれているこの本を紹介してくれました。
 「水俣市浜町源光寺の本堂仏壇うらにある秘密の部屋」と説明のある、水俣で訪ねたお寺の内部の写真があります。もともとこの寺は薩摩国高尾野にあったものが、真宗禁制によって「帰命尽十方無碍光如来」の十字の名号と妻子をたずさえてこの地に来たので、薩摩寺とも呼ばれているということです。
 告発から隠れての信仰の方法もこのほか様々です。京都などの本山ではこういった人たちが申し受けるための小型の本尊や親鸞や蓮如の影像や正信偈もあったといいます。

 禁制での処罰については、処刑を受けた人の書き置いたものがあり、とてもとても読むに堪えないものです。しかし、命あっての書置きですが、それで絶命する人は数知れません。女性は競売にかけられて奴隷として売られ、以後の生き様も並ではありません。とらえられることによっての「崩れ」の歴史も少なくありません。それでも、村という村、町という町、浦という浦にひろがり信仰を守る人は後を絶たたず、さらに根強く信仰が守られたのです。ここまでして、自分たちの信仰を守ろうとした思いについては、
 ≪郷中にただ一幅しかない仏さまを出して焼き捨てられでもしたら、それこそ孫子末代たすかる法なし。祖先が身命をすてて守ったのに、わたしが命惜しさに白状できますものか、≫とあります。

 これらのことについて、島津氏は、代々禅宗、真言宗に帰依しており、キリスト教や法華宗、浄土真宗は贅沢な宗教だとして退けたという説もありますが、いずれにせよ、「真宗は教義が直截簡明で信仰もひたすら(一向)熱烈であり、勢いの赴くところついに治安を害するおそれあり」との領主、士族と、貧窮にあえぐ疲弊した農民との越えがたい対立として、残酷な歴史が続くのです。

 びっくりするのは、廃藩で領主島津家が取りのけられても、薩摩の真宗が解禁されたのは明治9年5月で、その時のことを、「くらがりの世」から「お開きの世」になったといわれたそうですが、地租改正や士族秩禄処分や、廃仏毀釈で世の中が混乱し、そういったなか西南戦争で薩摩の士族を中心とした薩軍が負けるまで平民の宗教である真宗は依然として迫害を受けたとあることでした。
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