『短歌の旅』
2008/02/17(Sun)
俵万智の『短歌の旅』を読む。

十篇の旅エッセイがある。

「橘曙覧との出会い」

目次の中でこの章を見い出したので一番先に読んだ。
福井県の様子はよく知らないのだが、家督を弟に譲って文学と学問に生きるという自由気ままな生涯を送ったという橘曙覧は福井の人だ。
俵万智も中学・高校を福井で過ごしたという。
福井で過ごした時のことや、そこでの偶然目にした橘曙覧のこと。
この福井への旅は、そのような作者の事情もあって、橘曙覧と、それを評価した正岡子規に、また貧しさといえば山上憶良にまで話が及ぶ。
橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集(しのぶのや歌集)』を読んだ正岡子規は『歌よみに与ふる書』に橘曙覧の
  たのしみは銭なくなりてわびおるに人の来たりて銭くれし時
  たのしみは物をかかせて善き価惜しみげもなく人のくれし時

という2首を評して
≪曙覧は欺かざるなり。彼は銭を糞の如しとは言はず、あどけなくも彼は銭を貰いし時のうれしさを歌い出せり。なほ正直にも彼は銭を多く貰いし時の、思ひがけなきうれしさをも白状せり。」≫と言っているという。
『志濃夫廼舎歌集(しのぶのや歌集)』・『歌よみに与ふる書』・『万葉集』と読み込んだ俵万智が十分に短歌のたびを堪能させてくれる。
ついでに、私達の高校生時代にも「たのしみは重き財布の手触りよ・・・・・」などと友達とふざけあっていた頃を懐かしく思い出す。

「「五足の靴」を訪ねて」

これも、明治40年に与謝野鉄幹・北原白秋・木下杢太郎・吉井勇・平野万里5人が訪れた天草の旅をこの時の紀行文「五足の靴」というタイトルで東京二六新聞に連載されたものなどを手がかりに訪ねている。
数ヶ月前私は島原の乱を描いた小説を読んだばかり。
島の事情には少しばかり詳しい。懐かしく読む。
ここでは、地元の高校生の短歌評もしていて、短歌を歌うことの楽しさや意味も伝えている。

「宮沢賢治の世界」

も、宮沢賢治の作品は分かりにくいといいながらもその世界に向き合おうとしている俵万智の姿から、ほんの少しではあるがちんぷんかんぷんの私達と宮沢賢治の世界の橋渡しをしてくれる。


この三章は、読書の楽しみを十分に味あわせてくれる。

後のものも素晴らしいのではあるが、それぞれイベントに招待されて訪ねるといった様子で、こちらまであくせくさせられる。
やはり講演のための「あめりか紀行」では、
≪私は、どこに行ってもさほど変わりばえのしない話しかできなくて、その後ろめたさから、講演は今年1989年いっぱいでやめることにした。≫と言い切っている。

なるほど短歌を作ったり、エッセイを書くためだけの旅行記だと、たまらなく素晴らしい。

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