『おはなしおはなし』  ㈠
2017/02/16(Thu)
 河合隼雄著 『おはなしおはなし』をしんしんと雪の降る夜読みました。これもさきの『河合隼雄の幸福論』と同じようにエッセイです。
 ただ、タイトルも表紙の装丁もかわいいのです。
 いつも、高校生が読んでもわかる言葉で書きたいとありますが、ほんとに辞書を引くこともなくほんわかと読めます。このことが、専門の人だけでなく広くよく読まれることにつながると思えます。しかし、どのエッセイひとつ読んでもなんだかすごいなと感じさせられます。

 読み始めるとすぐ「明恵三題」として、明恵の話があります。
 『明恵 夢を生きる』が版を重ねて広く読まれていることをうれしく思っていると、これが英訳されて写真も多く立派な本に出来上がったことと、西川流の西川千麗さんが、この本を読んで、「阿留辺幾夜宇和」(あるべきようは)という舞を舞われるとの知らせがきたという、明恵によくあった共時性が自分にもおこったことの喜びから始まっていますが、「そんなことで喜ぶようではたいしたことないよ」と明恵に言われそうな気がしたと終わるところが河合さんらしいと思えます。
 この河合さんらしいというのは、あれだけ強い意志を持って仏教の教えを守った明恵に心酔するようになったといいながら、読者にはどのエッセイを読んでも、心理学療法士として守るべきこと、あせらない、押し付けない、じっと聞いて待つ、決め付けない、などこういった姿勢を守っておられる筆遣いが伝わってくることです。まさに「阿留辺幾夜宇和」(あるべきようは)ということを胸に秘めておられると感じられてすごいなと思えるのです。

 この共時性ということひとつをとってみても、結構誰でも経験していると思えます。Aさんのことを考えていたら偶然Aさんから電話がかかってきたというようなことはよくあります。しかしこんなことがなぜ起こったのかというようなことを深く突き詰めて考えるようなことはめったにありません。しかしこのことを考えることが何かにつながると思えるようになるのです。

 『明恵 夢を生きる』も、ずっと読んだときにはここまで考えた記憶がないのですが、というより考えても及ばなかったのですが、今回ずっと深く考え込んで夢を見ることについて考えていたからでしょうか、読んだあと夢を二度見ることができました。しかも、見た夢について目がさめてから考えることができました。
 どんな人との出会いでも、出会った人の体と心と魂についてじっと深耳を傾けることのできる人だからこそのエッセイだと感じました。
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