『最後の秘境 東京芸大』
2017/02/21(Tue)
 二宮敦人著 『最後の秘境 東京芸大』―天才たちのカオスな日常 を読みました。
 ここでは、音楽部門で指揮者を目指す学生に聞いた話についての部分についてです。
わたしの場合、特に耳の手術以降聞こえは悪く、さらに受け止める音波が異常になっているので、音楽が本当はこんな音ではないのだろうなと思うし、もともと音楽がわからないのでほとんど聞かなくなりましたが、この本を読んでいて、聞き方を変えて聞いてみようと思うことができそうです。
音楽は呼吸だというのです。指揮者の本番での仕事は何か?ということで、
≪「オーケストラを物理的に助けるのが仕事になります」物理的、の言葉には、まるで外科医が傷口を縫うようなニュアンスがあった。
「なかには合わせにくい、難しい曲もあるんですよ。小節ごとに拍子が細かく変わってしまう曲とか。そんな時、たとえばホルンが落ちるとしますよね。あ、落ちるというのは、リズムがわからなくなって演奏がとまってしまうことです。その時、ホルンに教えてあげるんです。指や表情、目で『今、ここだよ』と伝えるんです。そうして復帰させる」
もちろんそれは演奏の真っ最中。指揮者は振りながらの作業だそうだ。≫
そうやって全員で海を渡りきる。交響曲という海を、呼吸を合わせて泳ぐ。ピアノ奏者もピアノで大切なのは呼吸。音楽はもともと歌から始まったので、歌でいう息継ぎみたいなものがピアノでも必要で、息継ぎがない演奏は聞き苦しくなってしまう。管弦楽の人も音楽の流れに合った呼吸をして、音楽の表情を作っていき、楽器とも、仲間とも、お客さんとも一体になって呼吸をしなくてはならないといいます。ここまで読んでいくと河合隼雄の、『おはなしおはなし』のなかの「鼎談」と「指揮者」の話を思い出します。
彼は、鼎談は難しい。ところが、見事な鼎談を聞くことができた。として、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏の演奏がまさに理想的で調和的な鼎談をしていて、聞いていて、不思議だったのが、さらに形を変え、作曲者、演奏者、聴衆、三者の鼎談に発展してきて対話の質も変わり、活気を帯びて立体化してきたことを感じた経験を述べていました。
 「指揮者」では、オーケストラを聴きにいって、エドガー『交響曲一番』は、威風堂々と進んでいくような艦隊のように聞くことができたが、武満徹氏の『オリオンとプレアデス―チェロとオーケストラのために』を聞いたときときは、
≪その艦隊の上に、すーと飛んできた一羽のかもめの命が、艦隊よりも重みを持っているように感じさせたり、艦隊を浮かばせている海のきらめきが急に焦点づけられたり、艦隊も空気も、何もかもが、そのときどきの流れに従って、卒然として輝いたり、重みを持ったりする。こうなると、この全体を「統率」することは、連合艦隊総司令長官をもってしても難しくなるのではないか。・・・武満さんの曲はエドガーのように中心に一人の人間を立てる曲とは異なるのである。≫とすこし音楽の妙味にふれられ、日本の音楽は古来指揮者なしで演奏してきたので、こんな演奏も今後・・・などとあり、あんなふうに聞くのだと思いました。
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