お寺参り
2017/02/22(Wed)
 今日は四丁目の浄土真宗報恩寺というお寺にお参りをしました。
 何しろ観光ではなくて、葬式や法事以外でお寺にお参りに行くのはおおかた50年ぶりくらいです。
 一人暮らしで、体が不自由な知り合いの人が、電話してこられました。お寺にお参りしたい・・・・。あー、一緒に行ってほしいのだなと思って、夫に車で送ってもらってのお参りでした。
 正面からすこし左側の一番前の席が取れたので、ラッキーでした。しかも、講師の方の真ん前でしたので聞き取れない部分がずいぶんありましたが、どうにか行事についていくことができたように思います。
 まず、仏教女性会で、昨年亡くなられた3人の方のために、「仏説阿弥陀経」を全員で称えます。私も持参した輪袈裟を首にかけて、数珠を手に、「仏説阿弥陀経」を唱えました。立派なお堂に入りきれないほどの参拝者です。読経の声が響き渡りました。
 そのあと、仏教婦人会の心得のようなものを、全員で読み上げられたり、『御仏にいだかれて』を全員で歌ったり、「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、わららが今度の一大事の後生御たすけそうらえとたのみもうしてそうろう。・・・・。」の「領解文」を読み上げたりして、法要が続き、最後に女性会会長の挨拶がありました。

10分の休憩をはさんで、

 湯来町西法寺吉崎哲真師の法話でした。
 「苦悩の有情」ということについての法話です。
 ここでの「苦しみ」は、「自分が思うようにならない」こと、とまず定義されました。たとえば、けがをして苦しむというのなどは除外されてのお話のようです。
 苦しみを四苦八苦に分類します。四苦とは、生・老・病・死のことで、八苦は、生・老・病。死に加えて、
  愛するものと別離すること―愛別離苦(あいべつりく)
  怨んで憎んでいる人に会うことをいう―怨憎会苦(おんぞうえく)
  求めるものを得ることができないことの―求不得苦(ぐふとくく)
  肉体が思うままにならないこと―五蘊盛苦(ごうんじょうく)
をいうとのことでした。
 これらの苦は情があるから苦となるのです。情がなければ、ただの現象で、楽なのです。苦と楽はセットで、反対のものに目をそらせて生きているだけなのです。とのお話でした。四苦八苦は仏教用語だったのでした。
 本堂の柱に、美しい字で、
    み仏の み名を称ふる わが声は わが声ながら 尊とかりける
                                       とありました。
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