『元気』
2008/02/18(Mon)
五木寛之の『元気』を読む。

読み終わったあとしばらく放心してしまった。
本の前に私一人が置きっ放しになってしまったという感じである。

生活者として、働く者として、大好きな本を読み漁る者として、日々心の中にわだかまってくるものがある。そんなものが一挙に自分の心の中から抜けていったような感じだ。

たとえば、昨日読み終わった俵万智の『短歌の旅』の中で、宮沢賢治を訪ねる旅の章があった。
わたしもブログに宮沢賢治についてはちんぷんかんぷんと書いた。
私が宮沢賢治に出会ったのは小学5年生の頃で作品は『夜鷹の星』であった。
しばらくして、ある寒い朝あぜ道のようなところを歩いていて大きく息を吸ったとたん私は羽虫のようなものをいっしょに飲み込んでしまった。
むせて、涙がでた。
その瞬間『夜鷹の星』に出てくる夜鷹の涙を思い出した。
飲み込んだ私もどうにもならず不愉快であったし、飲み込まれて死んでしまった羽虫はもっと気の毒であった。
また、大学の授業で宮沢賢治の自由詩の授業があった。
宮沢賢治の詩も理解できなければ先生の話も理解できなかった。
この大学の国文の卒業生であり当時教務課に勤務していた女性といっしょに食事をしたときこの話をしたら「あの先生は頭が良すぎて神経を病んでいらっしゃるのですよ。」との事。
「はあ」といった感じで納得せざるを得ない。
なぜか、私と宮沢賢治の関係はこうなのだ。

五木寛之は岐阜の多治見市にある永保寺での奇妙な体験(座禅をしていて感じた)をしたことについて詳細に記述し、最後に
≪宮沢賢治の物語に流れているのは、いつもそのような感覚への謙虚さだったような気がする。彼は真宗の家に生まれて、真宗をすてた人だが、彼の転向の背後には、大事なものまで迷信の枠に押し込もうとする古い真宗の思想から自由になろうとする願望があったのではあるまいか。≫
と何の脈略もなくいきなり宮沢賢治が4行ほど出てくるのだ。
でも、五木寛之の体験とこの解説で、宮沢賢治がいきなりすっきり見えてきたのだ。

また、最近わだかまっているもののひとつに朝鮮半島の「恨」がある。隣国の人のこだわりが共有できなければいい関係も出来てゆかない気がするからだ。
しかし、少年時代を朝鮮半島で過ごした五木寛之は、「恨」について、
≪戦前、韓国にいたころに、こういう話を聴いたことがあります。
古い時代のことですが、昔気質の韓国のおっかさんが、子供にむかって、ときにこんなふうに言うことがあったのだそうです。
あなたたちもやがて大人になっていく。
物心ついて子供ではなくなっていくだろう。
そうすると、いままで子供のころには知らなかった不思議な体験をすることになるんだよ、と。たとえば、これという直接の理由もないのに、あるいははっきりした原因もないのに、ふっと心が翳って、えもいわれぬ欝の状態になっていき、なんともいえない無気力感におそわれることがあるものんだ、と。・・・・・・≫
そのような気分を中国に見れば「悒」(ゆう)という言葉が近い。
また、ブラジルでは「サウダージ」といい、ロシアでは「トスカ」という。
日本においては「暗愁」(この言葉についての考察は大変興味ある内容だ)ということばをあてている。
もちろん、こんなことで「恨」という言葉や気持ちをひとくくりにする気はない。
しかし、この説明を読んでいるとまたまた子供の頃のことを思い出す。
たとえば
 秋の田の刈穂のいほのとまをあらみ我が衣では露にぬれつつ
という天皇の歌を
 秋の田で刈り干す稲はみな不作女房や子供にゃ何を食わそう
と、母は私に教えた。
その立場と、教養で、皆違うことをおもっているのだ。
ちょうどこんなことを考えているときそばのテレビのタカジンの「なんでもいって委員会」で崔監督も在日韓国人50万人には50万とうりの「恨」があると話している。


本のテーマである「元気」ということをすっかり忘れてた。
五木寛之は、自分を体重も増えず虚弱体質だといっている。
遺伝的にも家族に早死にする人ばかりなので自分も長くは生きられないだろうと思って人生を歩んでいるそうだ。

私も高校生のとき修学旅行の検診で胃潰瘍が発覚し40日の入院をさせられ大好きなスポーツにはドクターストップがかかった。
退院してしばらくして自分の病気がまったく治っていないことに気づいた。
病気は性格が直らない限り治ることは無いのだと当時実感した。
以来、今思えば人の60パーセント位の力で生きていかなければ生きていけないと思った気がする。そして何も考えないことにした。以来馬鹿になってしまった。

でもまだ立派な馬鹿になりきれずにいた21歳のとき県病院に40日やはり胃潰瘍で入院した。そして退院してしばらくしてやはり治っていないことを自覚し立派な馬鹿になる修養をした。

こんな、恥ずかしいことを言うつもりではなかったが、放心ついでにこんなことになってしまった。


元気の元はこのように放心することだと書いてあったのかもしれない。

 ※ 奈良の「石舞台」の前の茶店で食べた「蘇」についての記述大変興味があった。五木寛之の言う仏教の「蘇」は瀬戸内寂聴が何かに書いていた「スジャータ」をも連想させる。




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