『岡山の夏目金之助(漱石)』 ㈡
2017/02/26(Sun)
岡山で、亡くなった兄の義姉の嫁ぎ先である金田の岸本家滞在中、瀬戸内海の幸に遊んだことや、義姉の実家片岡家滞在中に洪水に巻き込まれたことを、子規への手紙に
≪実に今回の大水は、驚いたような、面白いような、恐しいような、苦しいような、種々の元素を含み、岡山の大洪水、又、平凸凹一生の大波乱というべし。…≫と書いて送ったように、漱石が岡山で経験したことは、この本をとおして漱石にとって捨て置かれることではないことを知ります。
 漱石が水害に遭ったときの地元の人からの話を読むと、漱石の性格がよく表れているように思います。
いち早く危険を察知した漱石は23日の午後9時頃、とにかく自分の荷物をまとめて、さっさと避難します。避難から8日目の8月1日どこからともなく滞在先の片岡家に帰ってくるのです。   
 あいだで片岡家の人と出会えなかったために、濁流に飲み込まれたのではないかとずっと心配されていたのでした。家の片づけを手伝わなかったの、散々心配しただのと苦情も言われます。
 しかし、これが末っ子の思考回路の特徴のひとつと思えます。
 私もそうしたかもしれません。
 まず、猫かわいがりはしてくれるけれど、家にとって大切な存在だと思われてはいない。そうなると、特技はただひとつ逃げ足の速さです。
 掘り出し物のエピソードとして、水害に遭う前、義理の姉の再婚先から、越中褌だけをまとって一人で大蛤を拾いに出かけ、10っこ余りも掘り出し、入れ物がなくて褌に包み素っ裸で帰ったという報告もありました。
  廉孫が、漱石について語った部分の引用があります。
≪教場での先生は厳格な、八釜しい、皮肉な先生と一部の生徒には映じていたでしょう。…≫とあるところ、近年、インターネットで情報を得るようになって、湯浅廉孫らのように可愛がられた人とはべつに、当時の教え子からのエピソードでは、藤村操の自殺が、漱石に授業でひどく叱責された直後だったためにそれを原因とするような記載に出合ったことがあったので、この引用が、気になりました。
 内田百閒は、ここでは、あまり触れられていませんが、映画『まあだだよ』をずいぶん昔見に行きました。また『続 吾輩は猫である』は、私は読んでいないのですが、夫は、それを読んで、ずいぶんおもしろかったと教えてくれたことがありました。

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