『華の人』
2017/03/02(Thu)
 伊藤緋紗子著 『華の人』 を読みました。
 この作品は、北海道旭川に生まれ、東京の女学校に学び、大恋愛の末、九州佐賀県有田に嫁ぎ、30歳で亡くなった実在の人物深川敏子の半生を描いたものです。
 敏子は、明治38年(1905)北海道旭川で、井内歓二・加代の六男七女の四女として生を受けます。大成小学校から、庁立旭川高等女学校を経て、大正11年(1922)東京に嫁いでいた12歳年上の姉・喜美子を頼って山脇高等女学校の家事専攻科に二年の予定で移ります。
姉の喜美子は、東京帝大理学部卒で霞ヶ浦の海軍航空隊の研究所に勤務する野田哲夫と結婚して不自由のない生活をしており、敏子はそこから女学校に通うことになります。
 野田哲夫の腹違いの弟の陸男が、当時のモダンガールの先端を行くような敏子の美しさに憧れ、恋心を抱くのですが、気後れして、おなじ慶応義塾大学の剣道部の主将で八段の友人深川進を紹介します。
 進と敏子は、お互いであったその日から惹かれあうようになり恋心を燃やすようになり喜美子や陸男にも喜ばれ、デートを重ねます。
 進は、九州佐賀県有田の、パリ万博で金賞の栄誉に輝いた名門窯元深川製磁の社長深川忠次の長男でした。
 進が結婚をほのめかせたとき、敏子は「もしも東京で二人で暮らせたら・・・」と言ったのに対して、進は何が何でも結婚したい気持ちが先走って、「僕は深川製磁の東京支店長になるから、それは可能さ」と答えてしまいます。進は父親の忠次に敏子を紹介しますが、忠次は欧米諸国を見聞していることもあって、敏子に好意を持ち喜びます。
 そして、大正13年敏子は進と忠次に迎えられて有田の深川家を訪ねます。東京への帰りを送ってくれた進と神戸で一夜を明かし妊娠してしまいます。進は父親から、本社勤めをするよう言われたことは敏子に言えないでいました。妊娠がわかるや、進と敏子の為に陸男があちこち走り回って、結婚にこぎつけます。
 しかし、進の母親のモトは、九州から初めて華族の家に住まわせてもらって華族女学校に入学、英語も習得していましたが、佐賀出身で、武士道といふは死ぬ事と見つけたりの葉隠思想を受け継いだ家庭に育ち、嫁に容赦はなく、進の愛は変わることはありませんでしたが、なにしろ国内外の仕事が多く、優しかった忠次も亡くなり、敏子はモトの厳しさに苦しんで、3人の男の子を残して30歳の若さで亡くなるのでした。
 

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