『ある英語教師の思い出』 ㈠
2017/03/11(Sat)
 小野木重治編著 『ある英語教師の思い出』小泉八雲次男・稲垣巌の生涯 1992年11月、恒文社発行を読みました。 
 タイトルのある英語教師とは、小泉八雲の次男で、稲垣家の養子となった稲垣巌のことです。彼は31歳の昭和3年4月から昭和12年8月40歳の若さで亡くなるまで京都府立桃山中学校で英語教師をしていました。桃山中学は大正10年創立で、中学は5年生で卒業だったようで、ちょうどきりよく、昭和1年の卒業生が第1回卒業生ということになり、第4回から第17回卒業生までの約3000人が稲垣巌に学んだということになるということです。著者の小野木重治は、桃山中学の第13回卒業生として、昭和10年に週に1~2時間のわりで1年間、稲垣巌に学んだ生徒でした。
 この本の制作にあたり、稲垣巌が亡くなって50年もたっていることから、資料収集にずいぶん手間がかかったようです。それだけに本をめくるごと、よくぞ残してくださいましたの思いが篤くなっていきました。
 タイトルから見て、稲垣巌に学んだ生徒のまなざしから見た彼について知りたいと思い、第一部の第4章からは、第二部を先に読むなど、興味に任せて楽しく読めました。
 同僚であった松井清人「稲垣先生の思い出」に、稲垣巌が語ってくれたという、父親の小泉八雲との秋の終わりの散歩のときの話がありました。
 読んでいるうち涙が出てきました。
 「巌、あそこに何か花が咲いているようだが、何の花かな見てきなさい」それを見て、「これは、ちっぽけな、けちな朝顔の花だよ」と思わず足蹴にしながら父に告げたとき、八雲は、けしからんと巌を今まで見たこともないような形相で叱りつけ、「巌、よーく見てごらん。この殺風景な枯草の中に、この朝顔の花が一輪咲いているから、どんなに美しいことか。この辺りを和やかにしていることか。巌、いっしょにこの花を拝もうよ」といっていっしょにひざまずいて合掌し、さらに、地生えして、遅ればせながら咲いて、自分の生命を守り、自力でなんとか生き抜いて、この一隅を明るく照らしていることについて語り、再度二人して合掌したという話です。父子の会話については、巌の「父八雲を語る」にある、「巌は遊んでばかりいるから悪い。これから少しの間勉強するほうがよい」というのは「イワホ、タダアソブ トアソブ。ナンボ ワルキ、デス。スコシトキ ベンキョ シマセウ ヨキ」という具合ですから、こういった父の言葉のはしばしから思いを汲み取り、さらに、巌がそのことを同僚に語るころには、思えば、この朝顔もおぼろげにしか見えなかったであろう父が、誰の援助もなく、自分の生命を守り、自力でなんとか生き抜いて、その一隅を明るく照らしていてくれたことを心に深く感じていただろうと思えます。その教訓を心の宝としていたことをテニスの試合の後、宿直室で一服、四方山話にしたっているとき、珍しく稲垣先生が父小泉八雲の思い出として熱っぽく語られ、このときのお話は、今でも私の心に深く焼きつき刻み込まれているとの美しい記述でした。


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