『無意識の構造』 (3)
2017/03/18(Sat)
 なんだか読書がすすみません。
 こんなときは、しっかり地元仲間に入っていて、裏山散歩をしたり、お寺参りをしたり、親戚付き合いや、元の職場の仲間に誘われるままに、少し出かけてお茶をしたり、食事をしたりしているように思います。
 『無意識の構造』、一応はどのページも読み終えているような気もしますが、私の思考の弱さでは、すっきり頭に入ってきません。 このように、人間ひとりひとりの無意識を構造的に捕らえるということは、無意識の現れ方が人それぞれであるだけでなく、地域的、あるいは歴史的に違うのですから、大変です。

 そのひとつの例として、「浦島太郎」の話があります。
 小泉八雲は、もともと日本人ではありませんが、「夏の日の夢」と題して、日本の民話である「浦島太郎」の話をもとに日本人が読んでも違和感なく読める美しい作品を残しています。
 この「浦島太郎」をソ連の学者チフトフが自分の孫に話してやった体験を述べている話があります。
 ≪チフトフが竜宮城の美しさを描写したところを話しても、孫はぜんぜん興味を示さず、なにか別のことを期待している様子であった。そこで、彼は孫に何を考えているのかをたずねた。
 「いつ、そいつと戦うの?」
 というのが孫の答えだった。彼は竜宮城にいる竜と主人公の浦島の戦いが始まるのをいまかいまかと楽しみに待っていたのである。
 英雄が竜を退治し、そこに捕らわれていた乙姫と結婚をする。このパターンは西洋の場合、よほど小さい子どもの心にも定着しているのである。「浦島太郎」では、竜との戦いがないばかりか、浦島と乙姫が結婚したのかどうかさえ定かではないのである。・・・・ともかく、このような昔話が存在していること自体、ソ連の子どもたちにとっては不思議で仕方ないことであるだろう。≫
話を聞いている子ども達が、無意識のうちに期待しているものにこんなに開きがあるのには驚きます。
しかし、河合隼雄は、ユングの心理学の核心といえる元型について述べていきます。
 元型は、無意識内に存在するものとして、あくまで人間の意識によっては把握しえない仮説的概念で、これの意識内におけるはたらきを自我イメージとして把握したものが元型的イメージだといいます。この元型と元型的イメージの微妙な違いを把握することがとても重要なことのようでした。ここでの乙姫についてのイメージでは著者の著書、『母性社会日本の病理』で、詳細に述べられているとのことでした。
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