『奥の細道』
2017/03/30(Thu)
 矢口高雄著 マンガ日本の古典 『奥の細道』 を読みました。

 書き出しの欄外に
 ≪月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり 舟の上に生涯をうかべ 馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして、旅を栖とす≫
 としていますが、本文では、
 ≪後の世に「俳聖」とよばれる松尾芭蕉が、門人曾良を伴ってみちのく行脚に出たのは元禄二年(西暦1689年)3月二十七日(新暦五月十六日)のことであった。いわゆる『奥の細道』機構である。この年芭蕉四十六歳、曾良四十一歳・・・≫
 とあります。
 マンガですから勿論『奥の細道』のままを期待していたわけではありませんが、それにしても、これは『奥の細道』の解説書といっていいと思えます。
 そういう意味では、『奥の細道』ってどんな作品なの? とか、そもそも俳諧って何? とか、それを書いた芭蕉ってどんな人なの? というところから、いちいち説明されているので、私たちのように、茶の間の楽しみに読むには程よく楽しめます。丁寧に描かれた絵で、情景を楽しみながら、すんなり江戸時代のはじめころにタイムスリップして、リアルな旅を体験しながら、それを『奥の細道』という作品の中には、どのように表現していったのかを、著者矢口高雄の追体験との比較によって解説していただけるという願がったり叶ったりの作品です。
 さいごの「あとがき」では、マンガというジャンルで楽しんでもらえるには、ということを考えて41歳の曾良を20歳代くらいに見えるように書いたり、綿密な取材によって、芭蕉の真髄を、一コマ一コマの絵にこめることによって、文章ではあらわせない情景を絵によって理解を深められるようにしたことが述べられていて、著者の芭蕉像が楽しめます。
 著者の矢口高雄も、芭蕉に惹かれていて、曾良の記録にはあって、『奥の細道』にはないもの、『奥の細道』にはあってこの作品にはないものなど、構成上のフィクションととらえることができる表現についての工夫も学んでいるのが伺えます。

 芭蕉が、何度も推敲を重ねることの大切さをまわりの人に述べています。
 有名な
 ≪閑かさや 岩に沁み入る 蝉の声≫
は、はじめ≪山寺や 岩にしみつく 蝉の声≫で、つぎに≪さびしさや 岩にしみこむ 蝉のこゑ≫とかわり、最後があのようにかわりました。
 ≪五月雨を あつめて早し 最上川≫も、最上川の急流を舟で下って、涼しでは生ぬるすぎると感じて、≪五月雨を あつめて涼し 最上川≫ から変えてあのような生き生きした俳句になったということで一気呵成には名句も作れないようです。
 蕉風の俳句は、目に触れ心に感じたままの風情を素直に表現することだ、ともありました。  
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