『一茶』
2017/04/11(Tue)
 藤沢周平著 1981年12月 株式会社文芸春秋発行の文庫本 『一茶』 を読みました。
 これは先に読んだ『ひねくれ一茶』の半分のページ数で324ページです。
 この文庫本には、さいごに、藤沢周平の「あとがき」と、時事通信社・文化部長 藤田昌司氏の解説があります。
 その解説のなかに、藤沢周平が、一茶についてのこの作品を書いた事情について述べられています。
 藤沢周平は、一般に私たちが一茶にもっているイメージとおなじように、
  ≪それまでの藤沢氏には、
    痩蛙まけるな一茶是にあり
    やれ打つな蝿が手を摺り足をする
 といった句で知られる、善良な眼をもち、小動物にもやさしい心配りを忘れない、多少こっけいな句を作る俳諧師の姿があるだけだった、という。≫
 わたしなどにしても、子どもにかかわる職業にあったため、常日頃から、
   我ときてあそべや親のない雀
   雀の子そこのけそこのけお馬がとおる
 といった句が、子どものさみしさにつきあい、子どもの身の安全を気づかう心持として、いつも心をめぐっていたように思い、わたしにとっては、俳諧の師としてではなく、日々の生活の師としてこの句で呼吸をしていたようにおもいます。
 ところが藤沢周平は、20代の終わりのころ結核に罹り、5年にわたる闘病生活中に句会に入り、指導を受け静岡の俳誌「海坂」に作品を送り、巻頭を飾ったこともあるといいますが、それが機縁で俳句に関する書物を読み、それまでの一茶像が砕かれたというのです。
 ≪「そういう一茶像をみじんにくだくようなことが、私が読んだ文章には記されていた。それによれば、一茶は義弟との遺産争いにしのぎをけずり、悪どいと思われるような手段まで使って、ついに財産をきっちり半分とりあげた人物だった。また五十を過ぎてもらった若妻と、荒淫ともいえる夜々をすごす老人であり、句の中に悪態と自嘲を交互に吐き出さずにいられない、拗ね者の俳人だった・・・そしてゆっくりと、価値の再転換がやってきたのが近年のことである。一茶はあるときは欲望をむき出しにして恥じない俗物だった。貧しくもあわれな暮らしもしたが、その貧しさを句の中で誇張してみせ、また自分のみにくさをかばう自己弁護も忘れない、したたかな人間でもあった。
 だがその彼は、またまぎれもない詩人だったのである」(エッセイ「一茶という人」)≫
そんな一茶を、田辺聖子著『ひねくれ一茶』と、この藤沢周平著『一茶』で楽しみました。


スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<『小泉八雲』 | メイン | 第200回「広島ラフカディオ・ハーンの会記念大会」参加記録>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/989-bfc9c270

| メイン |