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『ディスタンクシオン』 
2020/12/01(Tue)
 岸 政彦著 『ディスタンクシオン』 を読みました。
 100分で名著 ブルデュー の 『ディスタンクシオン』 についての解説書です。
 前日歯医者に行った帰りに購入しました。
 ブルデュー の 『ディスタンクシオン』 とは、初めて知る著者であり著書です。読みかけの本をそっちのけで開いてみました。結局最後まで読んで、よく理解できなかった最初の方をさらに少し読んでみました。

「ディスタンクシオン」とは、フランス語で 「区別」。英語で 「差異・弁別・卓越「 であるとなっています。この本のテーマは、趣味とは何か・文化とは何かだといいます。 それをつきつめて、 「自由とは何か?」 ということだとのべ、結論として 「人間は不自由である」 ということに行きつくことの説明がなされていくとあります。
 これでは何のことだかさっぱりわかりませんが、岸 政彦氏 の解説を通して、 著者ブルデュー の住民の各層に及ぶ綿密な調査によって、人は自分が好きで選んでいる(と思っていた)趣味は、社会階層と学歴によって傾向づけられているとし、そのメカニズムを 「ハビトゥス(習慣・くせ・性向・傾向性)」、「界」、「文化資本」 などの概念を使って、その構造と、その構造の生成の仕組みを明らかにしたことが分かってきます。

 このようなところを読んでいると、私も、自分の学歴、育った家庭の文化や経済状態について、また今となっては職歴、住んでいた場所などについて思い起こし、「自分は一体どのような人間なのだ」 と改めて考えてしまいます。

 そのように考えていると、私の今までの読書は、自分とは関係のない何かを読んでいたような気がしてきます。
 例えば、直前に読んだ1997年8月に出版された 辺 真一著 『北朝鮮餓死か暴発か』 という本について考えました。結局その体制は2011年まで続き、さらに2020年の今日も、その延長線上にいるのではないかと思えます。餓死はますます進んでいるのかもしれませんが、暴発は起こりません。
 これだけ、人民の厳しい状況を見抜いてそのことばかりが描かれているにもかかわらず、暴発は起こらないのです。暴発を起こすことで、いま丼一杯の粥が食べられるという状況が絶対にないのが現実だということがよくわかっているのです。人民のもつ、「ハピトゥス(習慣・くせ・性向・傾向性)」 がそうはさせなかったのだということになるのでしょうか。

 私の町内会では、災害の多いい今日のことを考え、老齢化している団地のまさかのときの救済活動についていろいろ話し合っています。まずは ブルデュー の社会学に見習ってプライバシーに気をつけながら住民の現況を調査することから始めることが大切と切実に思ったのでした。


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『北朝鮮餓死か暴発か』 
2020/11/29(Sun)
 辺 真一 責任編集・訳 『北朝鮮餓死か暴発か』 を読みました。
 (株)ザ・マサダによる、1997年(平成9)の初版第1刷発行の単行本です。これも隣のご主人に頂いた本です。著者の辺 真一はプライムニュースなどでおなじみの評論家です。彼が50歳の時の責任編集・訳です。
文字も大きく読みやすく、かなり早く読みおえることができました。

 作品中ほとんどが、人民が次々と餓死していくようすが描かれています。
 生産した食料はほとんど取り上げられ、配給によって生活しています。配給が亡くなれば、当然の成り行きとして、草や木の皮や根っこを採ってきて食べるか、昆虫をはじめとする生き物をとって食べるか、人のものを盗むか、自分より階級の下の者から奪うか、他人や家族を殺して食べるか、国外へ亡命するかということになり、あらゆる方法の事例とそのあとの死が描かれて悲惨を極めます。これがいまから23年前後の北朝鮮の状況だというのです。

 金日成に引き続いて、金正日が最高指導者の時代です。かれは、経済的には韓国に劣っているが、韓国と戦争をすれば6分でソウルをめちゃくちゃに破壊することができるだけの準備をしています。あとは韓国に送ったスパイなどの扇動によって韓国内に内乱が起きるか、あるいは韓国軍の軍隊と同じ制服を着せて、攻め入ってきたと攻め入るきっかけを作るか、アメリカが介入するといえば、日本の東京を壊滅させる用意があることを主張してそれを阻むといって常に戦闘状態を想定しての態勢を整えているというのです。

 驚いたのは、214ページの朝鮮総連からの送金の実態でした。金正日は朝鮮総連からの送金を最大の金づるとみなしているとあります。80年代には1年間の送金額が6億ドルていどあったといいます。90年代については正確な数字はわからないがが、パチンコ屋不動産などの収入が減少し送金額は少なくなっているようだと述べています。

 金正恩の今の北朝鮮の人民の生活はどうかと気になるところです。

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『日本の城の謎』 (上) 築城編
2020/11/28(Sat)
 井上宗和著 『日本の城の謎』 (上) 築城編 を読みました。
 昭和61年初版第1刷発行の祥伝社文庫本です。隣のご主人に頂いた本です。

  なぜ秀吉は城攻めの天才と呼ばれるのか
  なぜ名城には人柱伝説があるのか
  本当に信玄は城を造らなかったのか
  なぜ信長は安土城天守閣を築いたのか
  なぜ抜け穴伝説が生まれたのか
  なぜ大阪城の土塁は石垣に変わったのか
  なぜ難攻不落の小田原城は落ちたのか
  なぜ城の絵図は正確無比だったのか

 の謎について考えてあります。

 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵也」 という信玄の言葉を知らなくても、戦国時代での天下取りというのはこうであったと思えるのですが、中国の兵法で 『孫子』 という本では、 「城を攻めるには、城を守る兵の十倍以上の兵を必要とする」 と言っているのを見ると、やはり城づくりにも精魂を傾けなければならないようです。 じっさいに城をみると、その感性と技術と労力については、いまのように建設機械のないあの時代に一体どのようにしてあれだけのものを造ることができたのかと思わされます。大坂城の石垣づくりでは大きな石が支えきれず一時に120人が下敷きになって死んだということもあったといいます。まずはこの堀づくりや石垣づくりに関心が寄せられます。

 土塁から石垣になったのは、1543年の鉄砲伝来からだといいます。初めて石垣にしたのは安土城・二条城(1569年室町通のときのもの)を築いた信長だといいます。ちなみに安土城築城に当たってはルイス・フロイスから諸外国の城・宮殿・大寺院の建築についての話を聞いたともあります。この石垣づくりには石造りの技能者には大津市坂本穴太町の石工の集団である 「穴太者(あのうもの)」 ・ 近江八幡に近い「馬淵」 が当たったと言われています。これらの石工については司馬遼太郎の作品でもずいぶん興味を持って読んだことを思い出しました。熊本上益城郡の通潤橋では種山石工の技術を堪能しました。こういった石工集団の入るところでの古い石垣には目が留まります。

 天守閣について、古文書によって、その表記が天守であったり、天守であったり、殿主であったりの論議も面白く読めました。

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『激戦!!太平洋戦争 帝国海軍カク戦ヘリ』
2020/11/25(Wed)
 監修 斎藤充功 写真で見る『激戦!!太平洋戦争 帝国海軍カク戦ヘリ』を読みました。
 笠倉出版社より2008年初版発行で、300枚超の証言写真というだけあって、整理された写真満載です。裏表紙には ≪1346日の激闘!栄光の軌跡がいま甦る!!≫ とあります。全く昭和16年12月6日から、17年、18年、19年、20年の8月15日まで計算すると1346日です。、

 この本は、先日隣の庭に落ちている我が家の葡萄の落ち葉を掃除に行かせていただいたとき、ご主人に本が三括りあるのを、「捨てるんだけれど、よく本を読んでいる人に・・・」と持たされてしまいました。なにしろ落ち葉が迷惑をかけていることもあって、大事に頂いてまいりましたなかにあった一冊です。

 第二次世界大戦を評して、「栄光の軌跡」 という表現で、すっかりにわか右翼になった気分で読み始めます。子どものおいていった 『中学校社会科地図』 を出して、真珠湾攻撃の数カ月前からの第二次世界大戦の流れを読んでいくのですが、よく聞いて知っている戦地の名前を具体的にたどって(実際にはどこの位置かほとんど知らなかったため)そこに戦艦を浮かべて戦うようすをなどって、戦闘を写真で確認するという読み方です。写真がほとんどとはいえ、却って時間がかかることこの上ない読書になりました。

 子供のころからの 『ビルマの竪琴』 などから始まって、何十年と戦地や内地の苦しい状況ばかり読んできましたが、主戦の目的に沿ってこのように読んだのは初めてでした。


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『宴のあと』
2020/11/22(Sun)
 三島由紀夫著『宴のあと』を読みました。
 新潮文庫で、昭和44年発行で平成4年45刷です。

 かずという高級料亭の女将がヒロインの作品です。高級料亭では政界の大物も出入りしていて、それを取り仕きるかずの手腕が酒宴を盛り上げます。
 かずは元外相でのち保守党から革新党にかわっていった、冷静で感情をほとんど表にあらわさない野口に惹かれていきます。妻を亡くしていた野口と結婚をして、野口への都知事選立候補を勧めに来た野党の党首と参謀で選挙運動の達人の山崎に、野口の立候補をほぼ承諾します。
 そしてかずは、都知事選に立候補した野口の選挙運動を、保守党の議員に反対されながらも、料亭の雪後庵を抵当に入れてまで、山崎と共に奔走し支えていきます。
 結末は敗退に終わるのですが、そのあとかずは野口に離婚を迫られて離婚をし、雪後庵を買い戻します。

 この作品は、じっさいの都知事選挙がモデルと言われて、後に「プライバシー裁判」を起こされたといいます。

 特に、この選挙運動中のかずの選挙の応援演説を含めたやり方がこの作品の山場と言えそうですが、これについて、思い出す事が多少ありました。

 選挙にかかわったことはないのですが、長いあいだ議員をしていた人の奥さん二人に親身にお話を聞く機会が何度かありました。議員さんは偶然どちらも入り婿でした。まさか自分の夫が議員になるなど想像もしなかった人たちです。
 一人の人は、夫の立候補話を聞いて、当時教員をしておられた仲人さんの家に駆けこんで、どうかそんなことはやめさせてくれと必死で頼んだとのこと、「まあ町内会へも頼んでみるから、最初はダメだったとしても・・・・」となだめられたといいます。ところがいい成績で当選し、何期か勤めて後輩にその席を譲られました。奥さんはその後輩に背広を作ってあげたと話されました。有権者に対して、最初のころ自分はペコペコしているのに、母親はいつものとおりの接し方なのでハラハラしたこと。そのうち、母親もなくなって、次女が結婚してその結婚相手の母親が選挙前に来て裏方を仕切って行かれるのに対して、もとから手伝ってくださっていた地元の人々に気を使ってヒヤヒヤしたことなどなど。
 遠くに住んでおられたもう一人の人には、富士山にさそわれて登りました。参加してみると、彼女の同級生2人と私との共通の知り合いとの5人でした。最年少のわたしは富士山登山と聞いただけで大仰に考えて、体を鍛えることから始まって、持参すべき荷物や服装など大いに勉強いたしました。ところが、彼女は普段着で、持ち物は息子が修学旅行の時のバッグだと言って息子の名前をマジックで書いた軽々のバックをリュック風にしただけのものでした。なのに、彼女、宿屋へは広島からの土産ですともみじ饅頭の菓子箱をさりげなく差出し、登山中喉が渇いたなと思うか思わないかのうちにそれぞれに冷たい飲み物を配ってくれ、小腹がすいたと思うか思わないかのうちになにか果物を剥いたものをそれぞれに配るといった具合で、このさりげない行為に議員の妻の風格を見ました。彼女が、考えてもみなかった富士山登山という形で慈しんでくださったことも今思うと不思議な縁と思えます。今では次男が議員として頑張っているようです。

 夫は、東京に行ったとき、石原慎太郎に三島由紀夫を紹介されて会ったことがあると話してくれました。会ったのは43年ころだったといいます。この作品の直前頃なのでしょうか。それにしても私は三島由紀夫の文章があまり好きでないのか、こんなに薄い文庫本になかなか手が伸びずあいだでほかの本を読み進んでいる始末でした。


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『金閣寺炎上』
2020/11/21(Sat)
 水上勉著 『金閣炎上』 を読みました。
 新潮社から、昭和61年発行、平成4年二刷の文庫本です。
 夫がネットで注文して、夫が読んでから回してくれました。三島由紀夫の『金閣寺』・水上勉の『五番町夕霧楼』と、夫も読み返していたので、食事中は居ながらの読書会もできて、確認できることもありながらの読書になりました。

 三島由紀夫の作品に比べて、水上勉の作品はとにかく落ち着いて読めます。
 水上勉は、金閣寺の放火犯の林承賢(養賢)とおなじ福井の寒村の出身で、やはり京都の禅寺に預けられ、徒弟修業中、何度か脱走を繰り返したひとだといいます。
 その経験から、金閣寺放火犯である林承賢(養賢)の置かれていた状況への理解が微妙な部分へもいきわたっているように思えます。当時の世の中の変遷とともに林承賢(養賢)の心の動きが汲み取れていきます。と同時に林承賢(養賢)の特殊な心境にも触れることができます。

 この、林承賢(養賢)の特殊な心境、特に吃音からくる彼の劣等感・屈辱感・孤独感については、三島由紀夫の『金閣寺』での彼の心中のくどいほどの描写が私の心に残っていて、その心境のなかでのこの事件としか思えないことも否めません。またなぜ金閣寺だったのかについて、三島由紀夫の『金閣寺』では、子供のころから父親に金閣寺の美しさを聞かされて、その美しさに異常な執着を持っていたがゆえに、金閣寺を焼いて、自分も死のうと思ったとしています。この壮絶な感性に普通の放火犯とは大きく違った感性を感じることもできるのですが、水上勉の文脈では、宗教的でない住職への生活態度をはじめ、寺院職員への反発をより強調する部分のほうがリアリティを感じさせられるのでした。

 このブログ記事は、読み終わって1週間くらいたっての記録となりました。



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「丹前」
2020/11/14(Sat)
 11月14日土曜日、きょうは公民館での「通史会」に参加します。コロナになって開催が稀になりましたが、きょうの中止の連絡がありませんので、前回の復習と予習をしました。

 会の最初1時間余り、簡単な古文書の文章を読んで、導入とします。前回のそれは、

 ≪昔は松平丹後守屋敷前に、町家風呂有り。美麗を尽くし風呂女とて遊女有之。諸人入込喧嘩度々故御法度になる。其時風呂屋へ通うかぶき者共、異名に、丹前へかかる人という。丹後守前という心也。今になんにてもはでなる風を丹前と云。是よりの事のよし。≫

 という文章でした。

 いま一つの予習は、読み取りにくい『安芸国安芸郡三入庄覚書』なのですが、会員の一人が安芸郡と呼ばれていた時代はいつなのかと、疑問を持たれました。もしかの記入間違いを指摘しておられる。1813年の文章にこの表現を書き残す事への間違いについて。あるいは当時の慣行で使用されているのかもしれません。
 たしかに、彼女の言う通りで、先ずはこの決着や如何に。

 この古文書は先人が既に解読して印字での配布物もあります。今のわたしたちは、これらの解読文章を広く学んだなかから読み返し内容を精査し、間違いがあれば訂正するという作業をしています。先人の解読の努力の跡を見て、学び、理解を深めその文章の歴史的意味を考える作業をさせていただけます。
 
  予習は不完全ながらも、今日はどんな発見があるかなと楽しみです。


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『命売ります』
2020/11/10(Tue)
 三島由紀夫著 『命売ります』 を読みました。
 筑摩書房から1998年第1刷、2019年第21刷の文庫本です。土曜日に「三島由紀夫という生き方」の講座を聞きに行ったとき、会場にはいる前に三島由紀夫のものを何かお借りしたいと探してやっと1冊見つけたのがこの本でした。

 自殺に失敗して、タイトルどおり、「命を売ります」という広告を出して、繰り広げられるストーリーはサスペンスそのものといった作品でした。彼にとって、自殺しなければならないほど追い詰められた要素は何もないなかでの自殺願望への記述は、三島由紀夫らしいものでした。それにしても、このストーリーを考えつくことに感心せざるを得ません。これは解説によると、

 ≪ウイーンの世紀末詩人フーゴー・フォン・ホ―フマンスタールに『チャンドス卿の手紙』というエッセイがある。そのなかに十代で天才的な詩を書いた少年詩人(チャンドス卿)が、それから数年後に「・・・・・・言葉が、口のなかで、まるで腐敗した茸のように、こなごなになってしまう」体験に遭遇するくだりがある。天馬空を往くような全能感とともに言葉という言葉をブリリアントに統御していた天空から失墜して、「腐敗した茸のように」こなごなに砕けた言葉しか口にできなくなってしまう、かっての少年詩人チャンドス卿、というよりはやはり十代で天才詩人として出発したホーフマンスルー自身の失語体験がそこには痛ましく告白されている。一方、こちらはたかが広告代理店の三文コピーライターにすぎないとはいえ、『命売ります』の羽仁男もまた、程度の差こそあれ全能感の輝かしい高みから不能感の闇に失墜し、没落とデカダンスの泥沼の中を這いずり回るのである。
三島由紀夫が『命売ります』というまぎれもないエンターテイメントを、こともあろうに、ホーフマンスタールの典雅なエッセイをモデルに構想したことはほぼ間違いない。・・・・・・・・≫
 といっており、なるほどと思ったものでした。当時一世を風靡しはじめた東映ヤクザ映画好みの通俗行動主義哲学なり、その手の大向う受けのする趣向をたっぷり盛り込んだものと言ってしまえばそれまでだ。とやっと私もうなずける感想が表現されていると思いました。
 この命に対する考え方は、三島由紀夫流の書き方をされると、説得力もあり、老後を生きる自分だからこそかどうか何とも言えませんが同調もできるのが不思議です。ますます、家を片付けたり預貯金の消費を考えたりしてきます。

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「三島由紀夫という生き方」
2020/11/08(Sun)
 11月7日(土)1時30分~開催された、安佐北区図書文学講座2020 「三島由紀夫という生き方」 に参加させていただきました。コロナ対策も充分にされていて、安心して受講できました。
 こういった講座を受けるのは本当に久しぶりでしたので、私なりに精一杯の予習をしておきました。この予習は、難聴をカバーするための予習といった意味で、できるだけ三島由紀夫について共通的に使用される単語を目にしておけば、講座の内容がすこしでも理解できると思ったからです。

 先日からのブログに書いたように、集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』と、付属の月報4、新潮文庫での『美徳のよろめき』・『愛の渇き』、『金閣寺』は大活字本シリーズで再び、そして参考にと文芸春秋社刊水上勉著『五番町夕霧楼』も読みました。
 解説に出てくる 清水文雄や、蓮田善明などウキペディアで検索していて、蓮田善明と熊本での同級生に丸山学がいて、回覧雑誌「護謨樹」をつくっていたとの記事に接し、やっと最近読んだことのある著者にふれてほっと親しみを感じたのでした。それというのも、三島由紀夫を読んでいると、ときどき気が変になりそうに思えたからでした。

 それだけに、この三島由紀夫をどのように語られるのかの興味はますます増してきます。

 早めに行って、事前に机上に配布されていた資料を一生懸命読みました。いよいよ始まると、若くて非の打ち所がない美人の講師です。私にとっては少し早口ではありましたが、声も聞こえやすい声です。大きな映像を順に示されてそれぞれ説明をしてくださる形式での講義でした。その映像を1ページに2枚ずつ印刷した資料と、その説明を印刷した資料があり、どちらも見やすくて、重要なところは事前に赤字で印刷してあり、コロナ時代の講義にはこんな方法があったのかと大変解りやすく充実した講義でした。2時間ずっとこのように充実した講義で十分満足しました。
 
 最初に、比治山大学と三島由紀夫の関係について話されました。比治山大学2代目の学長清水文雄氏は、最初に三島由紀夫の才能に気づき、三島由紀夫の名付け親で、終生三島由紀夫に敬愛されたことで、三島由紀夫から謹呈された署名入りの書物などを比治山大学に寄贈され、三島由紀夫の未亡人から、三島由紀夫の翻訳本の寄贈を受け、そのほか大学が三島由紀夫に関する書籍をおおく収集して、比治山大学には三島由紀夫記念館もありの様相を感じさせる説明でした。

 講義がおわって最後の講師の言葉は、三島由紀夫は早く生まれすぎた作家だと思います、と言われました。この言葉は私にとって十分に理解できたとは思えないので、もうすこし、詳しく話が聞けたらと思ったことでした。

 帰って資料を読み返して、「おやすみなさい」と眠るような気持ちで死んだときのことを思って、ますます家にある不用品の廃棄を心掛けなくてはと思ったものでした。

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『月』
2020/11/06(Fri)
 三島由紀夫著 『月』 を読みました。
 集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』に収録されている短編作品です。

 昨日出かけた時に老眼鏡の度の強いのを買ってきました。日本文学全集をはじめこのところ小さな文字の本ばかり読んで、画数の大きな文字が読めなくていい加減に読んでいたのですが、すっきり見えてよく読めるので快適に読めます。

 ところがこの作品には閉口いたしました。
 世間の人びとはみんな藷(イモ)ばっかりだ、と思う22歳のハイミナーラ、19歳のキー子、18歳のピーターが主人公です。ハイミナーラとは睡眠薬の名前で一度に6錠ビールと一緒に飲むのでこの名前がついているのですが、誰も本当の名前を知りません。いつも睡眠薬を飲んだ作用がでている感じでいます。そんな3人連れが壊されることになっているらしい古い教会で買ったローソクをつけて遊ぶという話です。3人とも自分はずいぶん年寄りだと思っています。

 それだけの作品のように思うのですが・・・・・。


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『女方』
2020/11/06(Fri)
 三島由紀夫著 『女方』 を読みました。
 集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』に収録されている短編作品です。

 ≪増山は佐野川万菊の芸に傾倒している。国文科の学生が作者部屋の人になったのも、元はといえば万菊の舞台に魅せられたからである。≫
 から始まるこの作品は、作品の半ばまでいかにその女方の万菊が魅力的かの説明です。三島由紀夫の美的感覚がじゅうぶんあらわれているところです。歌舞伎や能をテレビなどでしか見たことのない私はその舞台や俳優の醸し出す魅力に触れたことがないので、そんな感じを受ける人もいるのかと知るばかりです。さらに、作者部屋など舞台裏での女形俳優の立ち居振る舞いについてもどんなものか知ることもできます。

 作品半ばから、正月興行の演目が取りざたされ、新劇作家の作品が取り上げられることになります。劇作家の出した条件によって、演出家には川崎という人が新しく参加することになります。増山は彼の演出する作品を見たことはなかったのですが、某新聞社の演劇賞も受け評判は聞き知っていました。そして、増山は重役の方針によって楽屋の事務を支配する役を仰せつかり、仕事に充実感を感じてきます。

 川崎は、ありきたりの新劇青年そのままの格好ではじめての打ち合わせ会に遅れてあらわれ、入魂の劇作家ばかりに目を向けています。万菊には敬愛のまなざしを向けます。万菊もこの『とりかえばや物語』の権大納言の子の役を演じることになります。ここで、作品中「立役」という言葉が出てくるのですが、これはどうも、女の姿をしていた人が、実は男だったということで最後男性の姿で演じることをいうようです。劇の中で演じる役と、万菊のじっさいの舞台が二重になるということです。万菊もこの役に大いに興味を持ちます。
 川崎は思うように演じてくれない周囲の人とうまくいきません。そのことを万菊が気の毒に思っていることが増山に打ち明けられます。万菊の川崎への恋心は弟子たちの間でささやかれ始めました。
 そして、連日の『とりかえばや物語』は好評でした。

 万菊が増山に、「今夜ハネたらご一緒に食事がしたい旨を川崎に伝えてほしい」と伝えます。川崎は行きたくない様子なので、増山の「君、いい機会だから歯に衣消せないで君の言いたいことをみんなぶち明ければいいじゃないか。君にはそんな勇気がないのか」と言われ、「お受けします」と伝えてくださいと招待を受けます。二人して出かけていきます。その二人の姿に、増山は嫉妬を感じるところで作品は終わります。


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『憂国』
2020/11/04(Wed)
 三島由紀夫著 『憂国』 を読みました。
 集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』に収録されている作品です。

 昭和11年2月26日の、2・26事件を受けて、3日目の2月28日の夜に割腹自殺をした、新婚間際の近衛輜重(シチョウ)兵大隊勤務竹山信二中尉夫婦についての短編です。

 この事件について、詳しい情報を得ることができることを期待して読んだのですが、それについては期待はずれでした。
竹山信二夫婦は結婚した夜、軍人として、明日にでも腹を切らなければならないことがあれば潔く腹を切る覚悟を、お互いが確認しての美男美女の夫婦です。理想的な結婚生活がはじまり、お互いの信頼と愛情を確認できるようになって間際に2・26事件が発生します。事件を起こした軍人には竹山信二の友人3人が含まれています。自分を誘ってくれなかったのは自分たちが新婚だからだと思っています。そんな彼らを成敗する役になることができないための割腹自殺でした。
軍人は国を守る憂国の士らと思っていましたが、そんなきっかけでの切腹なのかとがっかりします。これは憂国というより単なる武士道かもしれないともも思えました。
 読み終わるころ心配したのは、割腹自殺をして部屋を地に染めた家は、仲人が新婚生活のために世話をしてくれた貸家でした。
 大家さんへの迷惑は考えないのかとそこが気になって一人で大笑いをしました。

 ブログへの記録をしないままの読書について付記しておきます。
 集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』では、『潮騒』に続き、『中世』・『頭文字』・『美神』・『詩を書く少年』を読み、そのつづきの短編4作をとばして『金閣寺』を読みました。論理の展開が普通でないので読むのに苦労しました。理解できたかどうか疑いを持ちながらの読書です。読んでいるうち、この本をすでにむかし読んだことがあるかどうかも疑わしくなりました。解説を読んだりして、そして、図書館で、大活字本シリーズの『金閣寺』をかりて再度読みました。2度目はかなり落ち着いて読めた気がしました。この大活字本シリーズの『金閣寺』での解説は、まだ三島由紀夫が存命で、『宴のあと』を連載している頃書かれたものでした。
 つぎに同じ金閣寺の焼失を扱った水川勉の『五番町夕霧楼』を読みました。これは夫が取り寄せてくれた本でしたが、この五番町夕霧楼の女主人かつ枝の従業員への考え方については昭和25年ころだというのに非常に民主的であることに驚きました。水上勉の作品は落ち着いて読めました。『金閣炎上』は近々届く予定だそうで楽しみにしています。


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『潮騒』 
2020/10/28(Wed)
 三島由紀夫著 『潮騒』 を読みました。
 集英社の日本文学全集82巻『三島由紀夫』の最初に収録されている作品です。我が家の全集はときどきかけているのですが、この82巻もかけていたので、夫がネットで購入してくれました。
 読んだことのない作品から読もうと思っていたのに、つい読み始めてしまったのですが、これは楽しい読書になりました。おそらくこの作品を読むのは3回目くらいではないかという気がしながらの読書で、映画の映像もよみがえってくる部分もありました。それでも読むあいだじゅう、いつもの再読のように、その続きがどうなるかは思い出せずに読み進む読書となりました。

 伊勢湾の入り口にある、都会の影響からは完全に遮断された歌島が舞台です。新治は母親と弟の貧しい三人でのくらしです。小さな漁船の太平丸に乗せてもらい、たくましく働き母親を助けています。太平丸の親方と若者の龍二の三人で漁に出ます。学業が苦手で卒業できそうになかった新治の卒業を頼んでくれた灯台の台長の家にも恩義を感じて、収穫した新鮮な魚を届ける律義者です。その道にある綿津見命(わたつみのみこと)を祀った八代神社にも丁寧にお参りします。

宮田の照爺は、跡取り息子が亡くなったために、養女先から初江を呼び戻して婿を取ることにしました。宮田の照爺というのは、金持ちで、大きな二つの船の船主でガミガミ男でした。その初江と想い合うようになった新治でしたが自分の貧しさからはどうにもならないとも思います。太平丸の親方は忍耐をすることを言い聞かせながら龍二とともに二人の恋を人知れず応援します。
 宮田の照爺は餅船の船長に、金持ちの安夫と、初江が思い合っていることを知った新治とを大きな船で航海に連れて出ることを言いつけます。途中台風にあったときの新治の仕事ぶりに感心した船長の報告を受け、新治を婿養子にし、彼の家族の面倒も見る事に決めます。

 このハッピーエンドは最近にはなかった読書で、なんだかひさしぶりにほっとする読書になったのでした。この作品と、直前に読んだ三島由紀夫の他の二つの作品とのギャップにも改めて驚くのでしたが、解説では、キリスト教が生まれる前の汎神論的なギリシャの思想を現わしたギリシャ文学の古典とも言うべきロンゴスの『ダフニスとクロエ』という作品を下敷きに創作されたと作者は語っているということでした。これはまた、ヴァレリーの「幸福な国民には精神がない。彼らは精神を必要としないからだ」という言葉とも共通すると述べられています。
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『愛の渇き』 
2020/10/26(Mon)
 三島由紀夫著 『愛の渇き』 を読みました。
 『美徳のよろめき』と同じころに買ったと思われる新潮文庫ですが、なんと奥付もなく、解説の最後のページのようしの奥のはしが裏表紙に貼りつき、作品の最初のページのはしが表紙に張り付いて始まっているという、骨とう品にもなりそうな文庫本でした。

 『美徳のよろめき』は、抽象的な設定でしたが、この作品は地名も出て土着の文学っぽい感じを受けます。主人公の悦子は舅の弥吉の家で暮らしています。舅は関西商船を社長で引退する5年前に買い翌年別荘を建て、果樹園を作るべく果樹の栽培を園芸課に委嘱していたところでの生活です。男三人の子供は東京で教育を受けさせたのですが、先ずは次男の謙輔がそこにはいり、いまでは、亡くなった長男の良輔の未亡人の悦子、謙輔・千恵子夫婦、軍人として海外に勤務している三男の嫁の浅子とその子ども二人と、下男の三郎と女中の美代と、言った4つのグループが生活しています。果樹園の従業員はすべて兵役に取られ三郎ひとりです。悦子は内縁の妻扱いで弥吉のグループで、いろんな形で他のものとは贅沢な生活をして謙輔・千恵子夫婦などからは嫉妬もされています。

 この広い土地で果樹栽培の仕事をしながらの田舎で押し込められた生活では、仕事はしっかりできるのですが、裕福な良家のしつけを受けて育った悦子には退屈で自分の価値観への満足が得られないといった生活でしょうか。そんななか三郎に好意を抱くようになります。悦子は三郎の子を宿した女中の美代を三郎が天理教の祭りに出かけた間に暇を出させます。帰ってきた三郎を、もう長年放置されたままになっているブドウ畑へ夜中に来るよう約束させ、会って愛についての話をします。三郎は、彼女の意図にやっと気づき彼女に襲い掛かり彼女は悲鳴をあげます。悦子は二人がいないことに気づいてブドウ畑にやってきた舅の弥吉の護身用に持っていた鍬で三郎を殺してしまいます。弥吉は驚くものの自首するという悦子から鍬を受け取り、穴を掘って三郎を生めて跡形のないようにするところで作品は終わります。謙輔夫婦も浅子も、三郎がいなくなったことについては、きっと女中の美代を追って出ていくだろうと言っていたことだったのでこの殺人は知られずに終わると思えます。

 悦子のこの気違いじみた結末は、三島由紀夫の結末を思い起こしもします。

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『美徳のよろめき』 
2020/10/26(Mon)
 三島由紀夫著 『美徳のよろめき』 を読みました。
 昭和37年6刷の新潮文庫で、定価が70円です。

 国勢調査の仕事が終わったので20日に安佐北図書館にいったとき、「三島由紀夫という生き方」という文学講演会30人募集の広告を見てなんとなく申し込んでおきました。
 特別三島由紀夫に興味があったのではなく、講演会に興味があったのでした。
 しかし、近年というより何十年も三島由紀夫を読んだ記憶がありませんでした。『潮騒』・『金閣寺』などを読んだ記憶があるくらいです。ところが我が家の本箱でやっと見つけたのは、この『美徳のよろめき』と、『愛の渇き』でした。

 さっそく『美徳のよろめき』から読み始めました。
 主人公は節子という女性です。氏育ちのよい節子は、毎日夫の帰りが遅く、一人いる男の子は元気で手がかからず、暇を持て余します。そんななかで、浮気が始まります。あらゆる行動に理由づけを考える心と体のゆとりがあります。自分の矜持ということも考えます。最初夫との間にできた子どもを夫に気づかれないように堕胎します。そのあと2度浮気相手の間にできた子どもを堕胎します。2度目の堕胎は初めて彼とホテルに泊まった夜から1年過ぎた頃のことです。堕胎してからだが元気になったころ彼と別れるのですが、作品はここらで終わります。彼女の有閑マダム的な生活のなかでの微妙な心の動きなどこれだけの想いを、なにから思いついて書いたのだろうかと考えてしまいます。読み終わって、解説を読んでみると、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』の影響を受けて書かれたレイモン・ラディゲという作家の『ドルジェル伯の舞踏会』の影響を受けたことが書かれています。ほんとに若いころ『クレーヴの奥方』は私も読んでいる可能性があります。『美徳のよろめき』は、戦後12年しかたっていない昭和32年に発表されたにもかかわらずわりと抵抗なく受け入れられたのは、日本人もこれら明治10年代頃からのこれらの翻訳物、あるいはそれ基盤に於いてのおおくの作品に触れていたからではないかと思われます。

 山代巴の本などを読んでいると、日清日露の戦争から男性はおおく戦争に駆り出されて、結婚相手の少なくなった女性は、もらってくれるならと身分に関係なく結婚をしたことも多く語られています。そこでは、そんなこともあって男性の横暴も許されていくという背景があることも感じ取れます。

 解説では文学作品はゆとりのある人が書き、読者もゆとりがある人が読む。ということが書かれてあります。ゆとりのない私が読んだ頃の読書はただの読書体験の一つだったのでしょうかと思われます。

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『荷車の歌』 上下
2020/10/23(Fri)
 山代巴著 『荷車の歌』 上下 を読みました。
 安佐北図書館で、大きな活字の本のコーナーで見つけて借りてきた本です。出版年数を調べるために奥付を見てびっくりしました。
 ≪昭和59年4月10日発行(限定部数500部)/底本筑摩書房刊「荷車の歌」/定価3,100円/著者 山代 巴/発行者 並木 則康/発行所 社会福祉法人 埼玉福祉会/印刷製本 社会福祉法人 埼玉福祉会 新座福祉工場≫
 となっていることでした。原稿用紙200枚足らずの200ページの上下2冊で6,200円なのです。文字が大きく読みやすくて、あっという間に読めたことに感謝しました。

 この作品があることは、子どものころから知っており、もちろん内容は覚えていませんが、母につれられて映画を見に行ったことは覚えています。

 明治27年、べっぴんだという評判のセキさんという女性の結婚前15歳から70過ぎのおばあさんになるまでの話です。郵便配達をやめて隣村に家を建て荷車曳きになった働き者の茂市とは好きあって結婚しました。セキはそのために親に勘当され、金親といわれる人からも絶縁されてしまいます。結婚してからは、赤名(モデルを詮索される時代なので明記されているわけではありません)の新居で夫の茂市とその母親との3人の生活です。茂市は結婚すると「わしにつかえる気があったら、この母親に孝行してくれ、お母に気に入られなんだあ、いっしょにはおれんからのう」と言われてから、茂市には白米を食べさせても、自分にはくまご飯(?)しか食べさせてくれない姑、そして自分の白米を一箸も分けてくれないという茂市、ことほど左様の差別待遇と重労働に苦しむことになります。2台の荷車を夫婦で引くのですが、子どもが生まれてあと、産後まもなく子供を置いて仕事に出ても、姑は赤子のおしめも変えてくれず、重湯も飲ませてくれず、重労働のあとやっと悲しみの中子供の世話ができるのでした。しかも、だんだん子供は増えて行きます。人生山谷在りながら、姑と茂市の情愛を受けないままの人生が描かれていきます。

 この作品は、ひたすら中国山地の農村の状況が描かれています。
セキさんはひたすら姑の老後を慈しみをもって世話をして見送り、そのあと、家の幼児を手伝わせると言って連れてきた夫の妾の老後を世話し手見送り、夫も見送り、こんな事情を村中のものがみんな知っている彼女の老後、それを孫をはじめまわりの人びとが、すべて自分の苦しみや悲しみを知ってくれてわかってもらえているということに幸せを感じて明るく生きていきます。

 この作品について、一緒に図書館で借りてきた、小坂裕子著 『山代巴―中国山地に女の沈黙を破って―』のなかの第2部 座談会「女たちの山代論」で、『荷車の歌』のテーマは一体何だったのかよくわからない。という意見もありました。
 私は、山代巴の作品を読むにあたって、岩崎文人先生が、
 ≪没後の山代巴の資料整理にあたり、「戦前から、戦後の時流を確かな目で見る事が出来た人」と評価した。≫
 という文面につられて読み始めたので、そういった意味で、私の育ったところに近い作家の作品でもあり、じゅうぶんにその期待に応えてくれていることに満足したのでしたが、共産党にも一時期席をおき、そんな活動のために3年も刑務所に入っていた彼女が、戦後半世紀も過ぎて同じ地方の状況を見て、自分たちの活動が意味がなかったと言っていることについて、この視座も意外と確かな目と言えるものではないかと思えたのでした。

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『数の季節』 囚われの女たち 第十部
2020/10/21(Wed)
 山代巴著 『数の季節』 囚われの女たち 第十部 を読みました。
 1986年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。

 もちろん『火の文字を仰いで』 囚われの女たち 第九部 も読みました。終わりになるにつれて、次はどうなるのだろうなどと、先を急いでブログを書かないまま第十部を読みました。
 読み終わると、もう少し山代巴を読めたらと思い図書館に行って、『荷車の歌』上下2巻があったので借りてきて、いま読みはじめています。

 十部の終わりは、あらかじめ報せもなく、いきなり昭和20年8月1日に仮釈放になり、郷里をめざして大阪駅から山陽線の下り列車にひとりで乗車したところで終わります。釈放されたのは、本当に終戦間際でした。それまでの、実家の様子や、二人の弟のことも詳しく描かれていたので、その後どうなるのか気になりながらも終わってしまいます。それでも、10巻は他の巻より分厚くて410ページまでありました。

 10巻全体は、東京女子美術専門学校を3年生 1932年(昭和7年20歳)までで中退してから、1940年に治安維持法で、夫婦ともに逮捕されるまでのことを、それから1945年仮釈放までの囚われの身になっての刑務所生活のなかで思い出しながら、その 刑務所生活の流れのなかで描かれていくという独特の筆の進め方です。

 作品のなかで用いられる方言が、私も幼いころに聞いたことがあると思い出すところもあり、また、三次の刑務所があまりにも私の郷里から近くでもあり、その気候や人心のありようといった部分では身近に感じるところもありました。
 一方、昭和24年に生まれた私にとって、この内容は、生まれるわずか20年くらい前からのことだと改めて認識しています。刑務所のなかで、光子に思想転向をすすめし続けた人たちが、私たちの幼少時代の大人だったことを考えると、敗戦以後その人たちの心のなかの動揺がどのようなものであったのか、といった関心も起こります。

 読むほどに、命を保つことに精一杯といった経験のない私たちには、あまりにも想像外の時代といった感があり、しかし、戦争前の国家の状況を思えば、いつまた同じような状況が起こるかもしれないといった思いもしますが、正直、それまでにはあの世に行ってるとの思いで日々美味しいものを食べることに専念している老後です。

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『不逞のきずな』 囚われの女たち 第八部
2020/10/12(Mon)
 山代巴著 『不逞のきずな』 囚われの女たち 第八部 を読みました。
 1984年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。

 この章はよりいっそう現代の日本社会(ほかの社会は知らないが)についても、知らないことが多くあることに気付かされます。

 逮捕されて留置場にはいっている時の状況について述べられているところです。私は、この留置場について、まだ刑が確定していない、不起訴・または起訴中の人が収監されていると了解していて、刑が確定して刑務所に入っているより、その待遇はいいのだと理解していました。ところが、この留置場について、
 ≪欽定憲法の下の留置場が、「豚小屋に似た非人間的な待遇の場であったことは、人民の無権利の象徴として筋の通ることかもしれないが、主権在民と平和とを掲げる現在の日本の憲法の下の留置場に、欽定憲法化の人民の無権利が残され、永続化されるとしたら、明らかに法の罠だ。≫
 ということを、大杉栄がフランスで体験した留置場での記述、と対比させて、述べているところがあります。このところの記述を書いたのは1984年で山代巴が72歳の時で、今の私の年齢とほぼ同じです。この記述については、刑に服することになった待遇に比べ、リンチなどによる脅迫は戦後も変わらない例などがあげられ、結果無罪ということもあります。

 読んでいる最中、安芸高田市の市会議長が、市長を恫喝したというニュースが流れました。この市長は、前の市長が拘留中の河井議員からの多額の金銭授受によって市長を辞したために、新しく当選した若い市長です。「貴女がこれから掲げる市政法案は一切議会を通さない!!」と恫喝したとのことです。また広島市議会では14人が河井元法務大臣の妻の選挙で多額のお金を受け取っているようですが、そのことを正直に証言すれば刑に問わないと言われて、開き直っているともいいます。ここまでの話をきくと、今でも給料が支払われているという河井議員についてどう考えればいいのか疑問もわいてきます。

 この河井議員については、私が最後に勤務した区の候補者であった人で、ちいさな幼稚園や保育園の運動会から始まって、地域の行事にも顔を出し、遂には安佐北区でも、というふうにそのような地方の施設や寺の行事にまで、行事予定を調べる手間や、秘書などの東京からの交通費など・・・、いったいそんな国会議員を見たことがなかったので、あとで、安倍総理の、政権への票さえ稼げばいいの多数党を目指す方針を聞いて、その優等生ぶりに納得したのでした。
その優等生への留置場での待遇やいかにと思ったのでした。
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『望楼のもとに渦巻く』 囚われの女たち 第七部
2020/10/12(Mon)
 山代巴著 『望楼のもとに渦巻く』 囚われの女たち 第七部 を読みました。
 1984年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
 6つの章で書かれています。「濁流を超えて」、「招かぬ客」、「田尻町の隣人たち」、「1940年春」、「舞い立つ蝶群」、「疎ましき夜」です。

 非転向のまま出所した坂野、板谷、加藤が光子の夫常夫を訪ねてきます。そのことが、今まで温情の中にさわやかに育っていたグループの内容に、少しずつ学術的に深みを増していくことになります。教員免許以上の学識を持っている加藤にすっかり心酔していくようになった弟の詳造は、働き過ぎて結核になって療養のために同居させて面倒を見ていたのですが、各科目の勉強をするようになり、中学校へ進んだ同級生が中学校を卒業するまでには、加藤の数人の友人にそれぞれの教科を学んで自分もそれをクリアーしようと頑張りはじめ成果をあげてきますが、療養にならず、医者から郷里に帰ることを勧められます。

 事程左様に、加藤を交えたそれぞれの活動は深みを増し、時代の流れとともに、1940年の春はじめ、夫婦ともに特高によって逮捕されます。

 そのよすは、八部に続きます。
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『サソリの眼の下で』 囚われの女たち 第六部
2020/10/07(Wed)
 山代巴著 『サソリの眼の下で』 囚われの女たち 第六部 を読みました。
 1983年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
 七つの章で書かれています。「豪雨と花と」では、広島刑務所を出るところから瀬野駅まででの行程で思い出、思い出すのは、それから6年前の旭硝子鶴見工場の女工になれた時のことからです。敵機深く忍び込んだ時偵察機が航空写真を撮るときなどに使う最高級の乾板にするものですが、それまで輸入品に頼っていたものをこの工場で作るということで大きな工場が建っておおくの女工を雇うのでした。やっと大手の工場に就職できた喜びはありながらも、身元調査の厳しいことと若い人が多いなかで自分の年齢で、本採用への道が開かれるかどうかの不安を持っています。

 「ノート「星の世界」」では、息をするのもしんどいほどの埃のなかでの作業で苦しみながらも、若い女工に交じって、特に採用試験の時自然を愛するという吉田絃二を尊敬する人としてあげていたトキエに関心を持つようになります。彼女が興味を持った星について夫の常夫に話し、常夫がその星についての説明を丁寧にノートにして書いて持たせてやったところから、若い女工たちが興味を示し、そのノートを写しあうようになっていきます。

 「星と刑余と」は
汽車は豊かな穀倉地帯の西城盆地を走っています。思い出すのは、夫常夫のあこがれの人蓮田の妻であるウタが刑務所から出てきていくところがなくて光子のところに転がり込んでくることになった。彼女には自分もつよい信頼とあこがれを寄せているが、夫に対する嫉妬に悲しい思いをすることです。しかし、常夫は星のノートにもされに熱意を持って取り組み光子をよろこばせもします。また、居候していた左官屋の妻での家事の上手な関口梅代に家事一般についても女工たちが教わることにも力を貸すことにする。

 「命燃えて」は三原方面を進みます。ここでは、三原での新婦人協会がはやくに平塚らいてふを招いたときの話題などもあります。梅代の家政一般の講義も女工たちに受ける。「我ガ軍ハ、本27日午後5時30分、陸海協力、残的ヲ掃蕩シ、武漢三鎮ヲ完全ニ攻略セリ」という時節です。

 「沈黙を破る群」は、三原から福山にむかい、父に見送られて東京に出ていった福山駅につくまで、因島について考えていると、自分を階級的な行動への一歩を導いた笹子智江であったことを想い出します。プロレタリア美術研究所は新井光子という画家で岩松淳と結婚をしたひとです。旭硝子鶴見工場では作業の持ち場に変更があり、ストーブのない部屋での作業者は、ストーブをつけてくれるよう談判することになり、ほかの持ち場の者もほとんどこの交渉を見守るというところまでこぎつけます。

 「火の文字の夜へ」では、光子の押し送りは、福山から笠岡、岡山へと進みます。この間、体調を崩しそうな光子は病院でレントゲンを撮ってもらい肋膜の診断を受け6カ月休養の診断書をもらいます。常夫は転地先を平塚に決め笹谷キョウに面倒を見てもらうことを決めます。転地が決まって、茅野咲子という女性と同じ長屋に住むことになりました。いつも下痢をしていたトキエはの道程です。14年の正月はその長屋に常夫とトキエが来て、夜4人で電灯を消して蝋燭の光でバビロニヤの最後を味わう、メネ、メネ、テケル、パルシン(265p)と書いた火の文字を読んだ。

 「若草の萎ゆる日」ずっと下痢をしていたトキエが時々弁に血が混じっていることを言ったが腸結核になっていて、おなじ長屋で療養することになるが重くなり入院して亡くなります。備前から播磨への平野を走る汽車のなかで彼女を思い出して涙します。

 読んですぐなのでページを追って記録しました。
 この作品の終わりのころから、この本と並行して読んだ加川さんの手記について思い出していました。この作品のなかでは、結核で多くの人が亡くなります。加川さんも親に反対されての結婚をされて、まもなく結核になり夫が勤めの合間に炊事洗濯掃除とやって療養させてくれたことを書かれています。加川さんはこの『囚われの女たち』10巻を読んで手記を書こうと思われたのではないかとさえ思いました。読みながら加川さんを思い出し、そしてやはり若いころ結核を患ったという一緒に仕事をしたことのある佐々木先生も思い出し涙しました。


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『転機の春』 囚われの女たち 第五部
2020/10/06(Tue)
山代巴著 『転機の春』 囚われの女たち 第五部 を読みました。
1982年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
三次刑務所から和歌山刑務所へ押し送りになり、広島駅に着いてそこから女囚36人と看守12人がトラック2台で吉島刑務所へ送られ、三次刑務所とは格段の待遇の悪さに、そこに収監されている夫の常夫ことを不憫に思うところから話が始まります。

 そんななかで思い出す事の記録としては、四部に引き続いて、昭和12年の春から翌年春への吉野常夫との結婚生活の約一年間が語られます。
 二人の新婚生活の住居は川崎市浅田というところです。もともと労働争議にかかわって検挙されたこともある人たちの助け合いによって生活のあらゆる部分が成り立っているようです。 そんななかで、信念を曲げずに生きていくすべを学んでいく生活を目指します。運動のために首切りにあった人や病気になった人などを助け合うことも大事な部分ですから、物語の登場人物は増えていく一方です。

 出会う人出会う人に同じ人はいないということでは、このところの私生活でも感じているところです。国勢調査の調査員を引き受けていたために、決められた区域をたずねてみると、4分の1が高齢女性の一人暮らしです。その方々は話し相手が来てくれたとばかりにいろいろな話をされます。5年前の国勢調査のときにはまだ働いていてゆとりがなかったのか調査対象の方々のお話を聞いたような記憶はないのですが、このたびはコロナウイルスのせいか状況が違うように思えます。時間内に予定どおり廻れるか心配しながらも民生委員になったような気持ちでお話を聞くのですが、それは山代巴の小説を読んでいるようでもありました。みんな重たいものを背負って生きているのだと改めて思わされます。

そんなこんなでブログを書くのが遅くなってしまいましたが、きょう散歩に行く前に六部も読み終わってしまい、七部を二〇ページまで読みました。
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『トラジの歌』 囚われの女たち 第四部
2020/09/29(Tue)
 山代巴著 『トラジの歌』 囚われの女たち 第四部 を読みました。
 1982年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
 この四部は、家にあった本のなかの一冊です。

 加川さんが亡くなられて息子さんから遺品を頂いたなかの本です。まだ整理できずにいたのですが、十巻のうち、たまたま一冊見つけて、次々見つけ出してあと十巻だけが見つかっていない状態に迄になりました。

 余談になりますが、先日加川さんの隣にお住まいの松本さんが、松井卓子さんが書かれた本2冊と加川さんが書かれた本3冊を届けてくださいました。本の整理をしていてあなたなら読むと思って持って来たよと言われます。ありがたく頂いて5冊を読んだ直後、松井さんに読ませていただいたと電話をさせていただきました。その時、山代巴の本を読んでいると述べると、松井さんも土屋先生の読書会で取り上げられて読んだということでした。
 思想的な会話をしたことのないお二方なのに、こんな本を読んでおられたんだと改めて丁寧に読んでいます。

 四部はいよいよ三次刑務所から和歌山の刑務所へ押し送りされることになり、押し送りの朝から始まります。三次刑務所から見える三次の比熊山・高谷山、巴橋を渡って三次駅へ、芸備線に乗って三次駅から広島駅へ送られる間のことが書かれています。汽車のなかで思い出すのは、三部からの続きで吉野常夫との新婚生活のなかで、なかでも当時植民地であったつらい立場にある中国や朝鮮の人びととの交流に寄せる思いが綴られていきます。
 
 白木山を見て、新羅の人が住んでいたので新羅山と呼ばれていたことについて語る場面では、夫婦でそんなことを想像していたのでやはりそうだったのかの感でした。

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『出船の笛』 囚われの女たち 第三部
2020/09/23(Wed)
 山代巴著 『出船の笛』 囚われの女たち 第三部 を読みました。
 1981年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
 この三部は、家にあった本のなかの一冊です。

 主人公の光子が、私の実家から車で20分足らずの三次刑務所入所中の話です。
 二部からの続きで、三次刑務所から、和歌山の刑務所へ移動するお別れの会で余興が始まってから終わるまでスケッチをし続けていた光子が身体が思うように動かなくなり、気を失って朦朧とした頭も少しづつ恢復してゆくなかで思い出す話です。

 一緒に住んでいた弟の生活費や学費を全部背負って自分の得意とする美術の腕を生かした仕事で生活していました。昭和12年、労働争議活動のメンバーらの助けにより、弟はどうにか自活して学業を続けられる話が決まり、さらに自分を頼って上京しようとするその下の弟の働き口や居住場所も世話してもらえることもきまり、11歳年上の吉野常夫と略式結婚式をすませ、いよいよ二人で新しい生活を始めるところからはじまります。

 まずは、結婚の許可を得ようと広島の自分の実家に帰り、父親と話すところから始まります。父親は決意についての助言をいいきかせます。母親には結婚したことは話せず、自分の眼鏡にかなわない人とは絶対に結婚を許さないという下の弟である詳造と東京に帰ってきます。弟は職場で尊敬できる人に出会いその人が尊敬している吉野常夫との結婚に賛成します。

 つぎに吉野常夫の生みの母親山名タミのもと磐城へ旅立ちます。タミは、常夫と光子の婚約には反対です。吉田寛から、「磐城を捨てない心があるなら俺たちをかばってくれたおっ母さんに、是非とも挨拶に行ってくれ。・・・・たとえ反対されようと、礼儀は正しくやっておいてほしい。これからの長い戦いのためにも」といわれひとりで訪ねます。タミのやり手ぶりに到底ついてゆけず多くの涙を流しますが、最後は気持ちよく認められ常夫のもとに帰ってきます。

 新婚家庭を訪ねてくる吉野常夫の同志の会話から、苦しい生活のなかから運動にかかわるようになる人と、学生生活をする中で運動にかかわる人との違いについて知ることになった光子は、運動の本質を理解しようと、健康保険もない、そこでしか働くことのできない人たちの職場日本鋳造川崎工場に自ら身を投じ、苦しみながら頑張るものの絶望的な思いをします。

 そんな時、新婚家庭を稲垣夫婦が訪ねてきました。常夫が褒める茶目っ気な稲垣夫人の八重子と意気投合し、文通を始めます。そのことが光子を励まし勇気づけることになりました。

 そんな思いでの彼女の闘志は、同時に三次刑務所で目覚め健康を取り戻した彼女の転向への思いを遠ざけ、和歌山の刑務所行きとなり、待遇を悪くすることになっていきます。

 長く合法舞台での活動をしていた吉野常夫が党へ入ったらすぐに検挙されたことについて語るところでは、日本共産党の特徴である、極度な官僚主義、権威主義、教条主義について書かれている部分では、頷かざるをえない部分がありました。
 じっさい、私も副組合長兼執行部役員をやらされたとき、そのことをうんざりするほど感じました。順廻りで、組合長の役が安佐北に回ってきたとき、本庁にも遠いこともあって誰も受けるものがいなくて会議が停滞していた時、ある人が、「私が受けます。その代わりその他の役を私が指名した人が必ず受けてくれることを条件にします。」というのでみんながその人に依頼し、私が副組合長に指名されて役を受けた時のことです。
 現在はどうかわかりませんが、その当時は児童館や留守過程子供会へ勤務する職員は全員組合員でした。

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『金せん花と秋の蝶』 囚われの女たち 第二部
2020/09/20(Sun)
 山代巴著 『金せん花と秋の蝶』 囚われの女たち 第二部 を読みました。1981年 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。
 この二部は、家で見つかりそうもなかったので、安佐北図書館でほかの図書館から取り寄せていただきました。よく読まれていて、随分傷んでいます。そのため、親近感を抱きつつ読めました。

 三次刑務所とのお別れの会で余興が始まってから終わるまでスケッチをし続けていた光子は身体が思うように動かなくなりました。
 朦朧としてくる頭に、銀座で図案の仕事をしている頃の状況が見えてきます。二部はその図案の仕事をしている頃友達に、そろそろ結婚相手を見つけて結婚しないと、妹がお嫁にいけないことを話したことから、その友達のあいだで、みんなが尊敬している吉野常夫との結婚を勝手にお膳立てされていき結婚に至るまでの内容です。そのころ、彼女には姉からも歯医者さんから是非にと申し込みがあったことを告げられて、早く田舎に帰ってくるように催促のたよりもきます。東京で自分が学資や生活費の面倒を見ている弟の面倒も見てくれるとも言ってくれているし、好きな絵も続けたらいいとも言ってくれていて、何より両親が喜ぶのでとその方にほぼ心は傾いているのですが、じっさい吉野常夫の労働争議に関する著作をおおく読まされ、会ってみると、その方に惹かれて、ついに結婚することにします。弟も大いに賛成してくれて思想犯として刑務所にも引っ張られていたこともある吉野常夫との結婚をするところで、三次刑務所で目覚めて終わります。
 15世紀の後半、白水川上流で地上に現れている黒光りの石が燃えることに気づいてこれをかがり火に炊いて獣を防ぐのに用いるものがいたことから始まって、いよいよ実用のものとして採掘されるようになるのはペリー来航以後で・・・・、といった炭鉱の歴史をつづる吉野常夫の著作『磐炭争議以前における運動小史』や、『磐城炭鉱争議の顛末』の内容から、以後の炭鉱労働者の争議に関する内容が延々と書かれています。
 ひところ、品川弥次郎について詳しく調べていたことがありましたが、この内容の中にも工部卿としての品川弥次郎が登場するところでは、下関や京都の尊攘堂や、西周を校長とする独逸学協会学校を作ったその財力の源を伺うこともできます。

 最後の章「木枯らしと蝶」にきて感動的な部分がありました。
≪「芭蕉の句に『秋の蝶地にしばらくはとまりけり』というのがあるが、君はどこかで読んだことはありませんか」≫
と吉野常夫が問いかけてきます。
≪「俺も以前は、夕日の野辺に死にかけた蝶が止まっているのを見かけても、哀感以外には感じなかったが、保護観察所の監督を受ける身になって、戦争の足音が近づくのに耳を澄してみると、秋の蝶はただ死んでいくんだとは思えなくなったよ。自然は種を保護する手だてを教えているんだ。秋の蝶がしばらく止まったのち死んでいくのは、渾身の力をしぼって卵を産んでいるから死んでいくんだと思うようになったよ」・・・・「いかに法に触れない努力をしても、ファシズムはどういうことで我々をさらうかわかりはしない。いまというときに思想する者は、秋の蝶と同じだ。許されている娑婆での時間は、蝶が産卵を果たして死ぬように、氷河の底に生き残る、自由の魂の卵を生んでおかねばならんように思う。お互いが生活を共にするということは、そういう産卵のためではないだろうか。」・・・・「私も秋の蝶になります。あなたと一緒に京浜に住んで」 彼は無言で光子に握手を求め、二人は肩に手をかけ合って駅についた≫

 この夏、娘から孫の夏休み研究のために、蝶の幼虫を見つけたら知らせてくれるよう頼まれていました。あるひ、ベランダの葉ワサビの鉢に幼虫を見つけて鉢ごと持って行ってやりました。30匹いたといいました。そして、さなぎから孵化させる段階で失敗してしまったことは聞いていましたが、それから、その失敗談を、『蝶の幼虫と過ごした夏休み』?と題して提出したのが、県の優秀賞に選ばれたと娘から報せがありました。失敗してもそれを記録に残そうとした孫に、蝶はひと夏に何代か卵を生んでは孵化し、最後の卵が冬を越すことを教えてもらっていた矢先のこの読書でした。
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『岩波新書「新型インフルエンザ」を読む』
2020/09/02(Wed)
『岩波新書「新型インフルエンザ」を読む』 を読みました。
これは、いつも読んで勉強させていただいている志村建世氏のブログ記事です。
あまりにも勉強になりましたので、私のブログへの転写のお願いをして記録します。
この記事のアドレスはhttp://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/です。このアドレスを尋ねると岩波新書の表紙が出てきて、よりリアルなので、よろしければ訪ねてみてください。


 数日前に書店で見かけて買った「新型インフルエンザ~世界がふるえる日」だが、本当に「時代を先読みした」本であるのが、手にしてみてわかった。まず、この本は2006年9月が初版の発行日だから、作今の「新型コロナ」とは無関係な時期に書かれている。また、著者は政治家として有名な「山本太郎」と同姓同名であるが、全く無関係な現役の医学者である。
 インフルエンザは俗に「かぜ」とも呼ばれる、ありふれた病気なのだが、ときに新種が流行して世界的な大混乱を引き起こすこともある。小松左京が書いた「復活の日」でも、世界人類を滅亡に導く疾病も、アルプスの山中で始まった「新種のかぜ」から始まったのだった。
 この本によると、人間とウイルスとは、ともに相手を必要とする共存関係にあるのだそうだ。ウイルスは宿主である人間を絶滅させたら、他の生物へ寄生する変身を成功させないかぎり、生存の基礎を失ってしまう。人間も、死に至らない程度のウイルスが体内にいないと、新来のウイルスに対抗する免疫力を備えていることができないのだそうだ。完全に無菌になった人間は、無菌室の外では生きていられない生物標本になってしまうというわけだ。
 さらに面白いのは、この本の最後には、新型のウイルスが発生して世界が大混乱に陥るという、今まさにこの世に出現している現象を先取りしたシミュレーションが書かれているところだ。新型の「かぜ」が、人口の1割以上の死者を出した例は、過去に実例が複数ある。ただし近代以前では交通手段が未発達だから、大きくてもヨーロッパぐらいの規模にとどまっていた。しかし現代では、そうは行かないだろう。国の単位で封鎖してみたところで、一切の物流まで止められるだろうか。
 今の日本も、すでにかなり「ふるえて」はいるけれど、人々の顔は、さほど追い詰められているようには見えない。新型インフルエンザは、正しく怖がりなさいと著者も言っている。初期では隔離で拡大をできる限り遅らせなさい。時間を稼いで対応ワクチンの増産を急ぐこと。対応の手順は、すでにわかっている通りなのだ。
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『霧氷の花』 囚われの女たち 第一部
2020/08/30(Sun)
 山代巴著 『霧氷の花』 囚われの女たち 第一部  を読みました。1981年第4刷 株式会社 径(こみち)書房発行の単行本です。

 以前、山代巴を読みかけたことがありました。そのときは、共感できずにやめてしまったのでした。ところが、『この世界の片隅に』を買って読んだり、映画に私まで連れて行ったりしていたことのある夫が、『この世界の片隅で』の著者山代巴について調べていて、ウィキペディアでの
 ≪日本近代文学研究者・広島大学名誉教授である岩崎文人は、没後の山代巴の資料整理にあたり「戦前から戦後の時流を確かな目で見る事ができた人」と評価した。≫
 の文面を読み、岩崎先生に学んだことのある私にこのことを知らせてくれたのでした。その時はいい加減に聞いていたのですが、たまたま我が家にあった山代巴の『霧氷の花』 囚われの女たち 第一部にであい読み始めたのでした。
 戦前から戦後の時流のなかを、どのように生きたのか、なにを思ったのかの作品は意外に多くあるように思うのですが、山代巴の作品を読むと、とにかく戦前前後の時流を見さされているといった感じがするのです。
 とにかく戦前戦後の時流に身を置いて眺めてみたいという願いに確実に応えてくれるといった作品のように思えるのです。
この作品の舞台は三次の女性の刑務所です。土地の気風といったものが刑務所にも影響するという部分では驚きました。女性のための刑務所が西日本では宮津、三次、佐賀、にありました。和歌山に男性用の大型の刑務所が新しく建っていたのですが、戦争が厳しくなって男性は全員兵役に取られたため空になっていました。そこに三つ女性の刑務所の囚人を移送することが知らされてきました。受刑者には全国をまたにかけた前科を重ねた囚人も多く、また刑務所の職員も転勤経験者が多く、三次刑務所内の人たちは、三つの刑務所の特徴をよく知っていることによる、そのときの三次刑務所の様子が描かれています。
≪29番は『鶏でも違う鶏小屋で育ったものを一つの鶏小屋へ入れたら必ず喧嘩ぁする。それと同じで、宮津から行った者は宮津どうし役人も懲役も一つにかたまって守り合う。佐賀から行った者もそうなる。三次から行った者もそうなる。そうなったら一番人数が多ゆうてこす辛い宮津が羽振りをきかすにきまっとる。佐賀は気が荒いけえ腕力でかたまるじゃろう。間へ挟まった三次は人数は少ないし気がやおうてのろいけえ、踏みつけられてしまう。部長さん、あんたのような官服狐になり切れん者が、連れて行った懲役をかばよったら、宮津や佐賀の懲役らの罠にひかかって、濡れ衣うきせられて、免職になるんが落ちじゃ。我が身を守ろう思うたら、ここで懲役らと一緒になって和歌山行に反対してつかい』言うた。わたしはこの頃、29番の言うた通りになるような気がしてならんのよ。あれはああ見えても千里眼じゃ。もしも親がおったら大した者になれたに違いない頭の冴えた女ごじゃけえね」≫
 これは、頭のいい29番の懲役囚が、部長面会で述べたのです。三次刑務所では、この時職員も29番の意見に納得させられて移送反対の立場をとることにするのです。光子こと山代巴はほかの人からこのいきさつを聞いて、看守と懲役の立場を超えた心の微妙さに感動する風景の一例です。
 刑務所では、懲役は一番人に知られたくないことが知られている状況での人間関係です。塀に囲まれた生活の中での人生勉強には胸を打つものが多々ありました。
 8月のはじめころ、夫と三次を通るとき、三次市文化会館の跡地に建てられた、日本初の妖怪博物館「湯本豪一記念 日本妖怪博物館」(愛称:三次もののけミュージアム)に立ち寄りました。このあたりに女子受刑者収容監獄があったところと思いながら歩いたのでしたが、読書中は、この女子受刑者収容監獄の内部の風景を見ているようでした。


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『死のごとく強し』
2020/08/26(Wed)
 モーパッサン著 鈴木力衛訳 『死のごとく強し』 を読みました。昭和31年、河出書房の文庫本で、初版本です。
 亡くなられた、古文書を教わっていた加川さんの資料や書物の整理をしている(余計さばけてもいる)あいだに見つけた本の一冊です。モーパッサンは日本の自然主義文学に多大な影響を与えた、との拙い思い込みから読み始めたものでした。

 社交界でもてはやされる流行画家オリヴィエ・ベルタンの伯爵夫人アンヌ・ド・ギルロワにたいする第一の恋。そして中年に達した同じ画家が、伯爵夫人の分身である娘アネットのうちに突如として覚えた死よりも強い第二の恋のために、オリヴィエはみずからを車輪の下に投げ込んで死んでゆくという内容です。(解説の抜粋に手を加えた)

 まず、最後の翻訳者による5ページ足らずの解説を読みました。この解説は短いながらも、そのとき事前に知っておきたい情報であったために、すぐ作品を読んでみることにしたのですが、読み始めてみるとまったく退屈な作品でした。それに、私自身は、老齢になって年を重ねるごといろんなことをいままでより深く味わうことができることに日々感動しているのですが、老いることを、負にばかり感じて苦しむひとがいることに意外性を感じて、退屈だったとも言えます。

 また解説での知ってよかった情報としては、それまでに3人の人がこの作品を翻訳していて、そのなかの二人の翻訳者と、モーパッサンの作品への西洋での評を訳している河盛好蔵氏とに懇切な教示をいただきながら訳したことの説明があったことです。この翻訳ということについて、外国語の苦手な私が考えても仕方のないことなのですが、大江健三郎の作品を読んでいくうちにだんだん考えさせられるようになったのでした。
 モーパッサンの作品は20歳前後に『女の一生』を読んだことは覚えています。その時は、まったく違った社会の中の出来事として楽しく読んだように思いますが、この作品は爵位や秘密結社などの社会のことについてよくしっていれば、民族の違いについて心情的な差を感じにくく訳されていると感じられるのでした。

 モーパッサ(1850年~1893年)は、この作品(1889年)の執筆中麻酔薬を乱用していて、1891年には発狂し、1892年には自殺未遂を起こし、精神病院に収容され、1893年には病院で亡くなったというのです。この2部はそんな状況をそのまま思わせる作品だとも解説されているため、退屈だとは思いながらも最後まで丁寧に読んだのでした。

 こんな読書中、兄嫁が亡くなりました。コロナパンデミック中での葬式だったために、葬儀のあと家に帰って半月家にとじこもって人に会わないようにしました。

 この暑さ。経済の急速な衰退の報道。隣の民族とはいえ気性の激しさや衣装の極度のきらびやかさに唖然としながらの韓国ドラマを3本視聴。が今年の8月でした。
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『憂い顔の童子』
2020/08/11(Tue)
 大江健三郎著 『憂い顔の童子』 を約半分読みました。
 2002年9月、講談社から出版された書下ろしの単行本です。

 一冊が結構分厚い本です。半分でやめたのは、読むことがだんだん辛くなってくる本だからです。

 この作品は、大江健三郎自身、他の本でも言い換えていた長江古義人が主人公で、奥さん(ここでは千樫)が、吾良(伊丹十三のことか)の若い女友達だった娘がベルリンで子供を産みひとりで育てる決意をしたことでドイツへ行くことになったのがきっかけの一つとなって古義人の故郷へアカリをつれて行くことになり、そこでの出来事が内容になっています。
 最後の章は、奥さん(ここでは千樫)が帰国して、四国に会いに来たところで終わります。

 大江健三郎8冊目ともなれば、登場人物の気心も知れていて、そういった面では読みやすい筈なのですが、ここまで、自分が郷里の人の物笑いの種にされていることを書き続けていることで、読むことが辛くなって途中で中断することにしました。全体がそうですが、とくに231ページからの真木彦の古義人のことについて述べたことが書かれている部分では、真木彦の話の内容に同調できるだけに、気がめいってしまいます。

 これまで、10冊図書館でお借りして、6冊読んで、2冊は途中まで読んできました。
 またいつか読む機会があるかも知れませんが、数ある作品で、読みたいと思う最初頃の作品には出会えないままでした。
 


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『「新しい人」の方へ』
2020/08/07(Fri)
 大江健三郎著・大江ゆかり画 『「新しい人」の方へ』 を読みました。2003年1月10日~2003年4月18日号の朝日新聞に連載されたもので、朝日新聞から出版された単行本です。
 目次
 「黒柳さんのチンドン屋」、「頭をぶつける」、「子供のためのカラマーゾフ」、「数十尾のウグイ」、「電池ぐれで!」、「賞をもらわない九十九人」、「意地悪のエネルギー」、「ウソをつかない力」、「「知識人」になる夢」、「人の言葉をつたえる」、「もし若者が知っていたら!もし老人が行えたら!」、「忍耐と希望」、「生きる練習」、「本をゆっくり読む法」、「「新しい人」になるほかない」

「黒柳さんのチンドン屋」では、
 ≪自分の家庭のこととして、私が水泳に行っているクラブで一緒になる心理学の先生に、
――お宅で、光さんを中心に置くやり方の生活をなさっているのは、ほかのお子さんの心理に問題なのじゃないでしょうか?といわれたことがあります。
 私は特にお答えをしませんでしたが、胸のうちには確信があったのです。私と家内は、生活の大きい部分を光のためだけに使ってきました。しかしそれが必要にせまられてのことで、光のためにそれをやることが、家族みんなにとってなにより大切だということが、光の妹と弟にもつうじている、と信じていたのです。
そして私は、それが正しかった、と考えています。・・・・≫
とあり、つづいて妹と弟のそれからについて語られています。

 偶然、この本と並行して読んでいた、内田祐治著『天保八年 伊勢西国道中記覚』の209ページに
 ≪やがて床の中へ入った儀右衛門、灯明の消えた闇の中で、在所に伝えられるあることを想い出している。それ、
 障碍をもちて生まれ来た子をもつ家には、福が来る
というもの。・・・・・≫
 と、目の見えない人に出くわしたことから、脳に障碍のある人のことに至るまでかなりの紙面を費やして書かれていました。

 障碍を持って生まれた子どもを持つ家庭の必要に迫られてのことのために、ナニクソ、ナニクソ! と頑張った大江光さんの妹さんのことは、大江健三郎の作品には何度か出てきたのですが、その彼女のことを、
 ≪その、おとなしさのなかに、記念のメダルのように、遠くでかすかに光っている、ナニクソ、ナニクソ!が、普通の市民として生活している今も、彼女をまっすぐ立たせる力になっているはず、と思います。≫と述べていうところでは、実感のこもった言葉としてふかく受け止めることができました。

 「「知識人」になる夢」のなかでは、東京大学の文科二類を目指して一浪している自分のことを、村出身の中学校の先生が、お兄さんに言ったという言葉について、
≪――もうひとり、「教育バカ」を、作る気か?
 それを聞いた私はつい笑ってしまいました。これを俳句だとは言いませんが、川柳としては通用するかもしれません。私の生まれ育った地方は、正岡子規の出た所で、誰もが俳句を作るばかりか、日々の暮らしで、こうした五、七、五の言い方をする人のいる土地柄です。≫
この文章には、私もつい笑ってしまいました。

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『定義集』 
2020/08/01(Sat)
 大江健三郎著 『定義集』 を読んでいます。2006年4月18日~2012年3月21日まで、月に1回朝日新聞の文化面に連載されたものに加筆したものだということで、朝日新聞から出版された単行本です。

 ひとつの記事がだいたい4ページです。目次だけでも5ページはあろうかというエッセ-が満載で、それぞれの記事に脈絡はありませんが、その時々の話題は在ろうかと思える作品集です。
 最初の「注意深いまなざしと好奇心」では、障害を持つ家族を抱える著者、また著者の家族への世間のまなざしについて書かれている衝撃的な記事でした。
 障害への受容ということについては、7月19日の『恢復する家族』で述べましたが、本人も、家族も障害を受容するまでに、ずいぶん様々な葛藤を経過しますが、当然世間の人びとにはその障害への理解も、何もありません。逆周りの人がかかわってくれることで事態が悪くなるとおもえるとき、断ることによって、気まずい状況になる悲しさと、まず注意深く見守ってくれる人について述べられていました。大いに教えられることでした。

 つぎつぎ読んでいくうちに、「人間をおとしめることについて」という記事を読んで、読書じたいが止まりました。それなのに、夜寝ると、なぜか大江健三郎の文体についての夢を見ました。次の夜は何か思い出しませんがやはり大江健三郎の夢を見ました。こんなに気になるのですから、作品の途中ではありますが記録することにしました。
 彼の著書『沖縄ノート』の記述について、著者大江健三郎と岩波書店を、曽野綾子の著書『ある神話の背景――沖縄・渡嘉敷島の集団自決』の内容をもとに、赤松秀一・梅沢裕慶良間列島の守備隊長が訴えたことについてでした。夫に言わせるとこのことは有名な出来事だったのだそうですが、わたくしには意識にありませんでした。
 ノーベル賞作家とはいえ、障害児を抱えて「注意深いまなざしと好奇心」に述べられているような日常を送っておられることを実感した矢先のことでしたので、このことがらについて、ネットで詳しく調査しました。

 2005年8月5日、梅沢裕(元陸軍海上挺進隊第一戦隊長、少佐)と赤松秀一(同第三戦隊長、大尉、赤松嘉次の実弟)が大阪地裁に提訴(損害賠償と出版停止などを求める)、被告は、大江健三郎と岩波書店、訴えられたのは「沖縄ノート」(1970年出版、岩波新書) 
 家永三郎「太平洋戦争」(1968年初版、2002年岩波現代文庫として改訂出版)
 中野好夫・新崎盛暉「沖縄問題20年」(1965年初版、74年出庫停止、岩波新書)

 2011年4月21日最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)が「上告棄却、上告不受理」の決定、大阪高裁判決が確定

 あいだをすべて省略して、大まかにいうとこういうことでした。
 曽野綾子については、若いころはよく読んでいました。また以前、郵便貯金ホールでの講演を聞きに行ったことがありました。すでに亡くなったカソリック信者の友人に誘われて行ったのではないかと思うのですが、曽野綾子氏の講演内容についても残念ながら覚えていませんが、胸のブローチの高価な光がキラキラキラキラ光っていてあまりいい印象でなかったことは覚えています。もしかすると、彼女に味わいのある美しさを求めていたのかもしれません。そしていま曽野綾子が物議をかもしたことがらの数々の資料を読んでびっくりもしています。

 この4ページにわたる記事は何度も読み返し、いろいろ考えさせられました。

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